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野煙る ・ 小説・評論
シーザーの跡を訪ねて
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 世界文学史上に輝く劇作家ウィリアム・シェイクスピアは、全部で37篇の作品を発表していますが、そのうちなんと7編が主たる舞台をイタリアに設定しています。

シェイクスピア
シェイクスピア

 一度もイタリアに行かなかったシェイクスピアが、これほどまでにイタリアに関心を持ったのに驚きを感じます。

これら7編の「イタリアもの」の中にはポピュラーな 『ロミオとジュリエット』、『ヴェニスの商人』 が入っていますが、その他に「ローマ史劇」と呼ばれる4篇の作品があります。

ローマ史劇の4篇はそれぞれに素晴らしい作品ですが、中でも一際光を放つのが、傑作 『ジュリアス・シーザー』 です。
このたびイタリア・ローマに旅行した際、ローマ市内を中心にジュリアス・シーザーの跡を訪ねました。

シーザー像
ジュリアス・シーザー

 ジュリアス・シーザー(イタリア語ではカエサル)は、紀元前100年に古代ローマの貴族の子として生まれました。やが実力を付けてきたシーザーは、「三頭政治」 の時代を経て、次第に帝国のトップをうかがうまでになりました。

その後、ローマ帝国の周辺各地への遠征でさらに資金力と軍事力を蓄えて行き、紀元前50年にはついに自らの軍団を率いて首都ローマに入城しました。

この後は、シーザーは紀元前46年に任期10年の独裁官に就任し、ローマ共和制は事実上シーザーの独裁政治となりました。ここに至って、キャシアスを始めとする共和主義者たちは長年維持されてきた共和制が崩壊するのを恐れ、シーザーの寵愛するブルータスをも説得して仲間に引き入れて、シーザーの暗殺を謀議しました。

運命の紀元前44年3月15日、その明け方からキャシアス、ブルータスらはひそかに集まり、シーザーを暗殺する手はずを確認しあいました。
『ジュリアス・シーザー』 の劇中では、これより前にある占い師がシーザーに対し 「3月15日にお気をつけください」 と警告するくだりがあります。

暗殺の凶兆
 『ジュリアス・シーザー』 の中 には、シーザーの暗殺が近くなると、ローマでは墓が口を開いて亡骸を吐き出すとか、経帷子を着た亡者の群が昼間から街に出てくるなどの凶兆がたびたびおこったと書かれています。

その前の晩、シーザーの妻カルパーニアは、夫の像がたくさんの噴水口のある噴水盤のように鮮血をほとぼらせている夢を見て叫び声をあげて飛び起きました(下の写真は、ローマの観光名所スペイン広場にあった噴水盤)。

そして、次の朝、カルパーニアは夫シーザーにその夢について語り、今日は決して議事堂には行かないでくれと夫に懇願しました。

ローマの噴水

古代ローマ議事堂址
 シーザーは一度は妻カルパーニアの切なる懇願に従いますが、家まで迎えにきた暗殺謀議グループの者の言葉で結局いっしょに議事堂に向かいました。

その途中でシーザーは、以前 「3月15日にお気をつけください」 と警告した占い師にまた会います。シーザーが占い師に対し 「3月15日になったがなにも起こらないではないか」 というと、占い師は 「3月15日はまだ終わっていませんぞ」 とまた警告します。

古代ローマの遺跡フォロ・ロマーノにある凱旋門の横の丘を登って行くと、奥の方に岡に囲まれた低い場所があります。そこが古代ローマの議事堂の址とされます(下の写真)。

古代ローマ議会址

シーザーが議事堂に着くと、すぐに謀議者たちがシーザーを取り囲みました。その朝確認した手はず通り、まずキャシアスが短刀でシーザーを刺しました。倒れたシーザーに、謀議者たちがさらに次々と短刀をふるいました。

ブルータス
ブルータス

 左の写真は、ミケランジェロの 《ブルータス像》 です。小品ですが、品格に満ちた傑作で、私はダヴィデ像よりこちらのほうが好きです。美術大学などでデッサンを勉強するときに使うモデルの定番だそうです。
共和制を維持するという信念のために、恩義あるシーザーに手を下すという苦悩にひしがれる青年の内面を感じさせます。

さて、瀕死のシーザーがブルータスが一味に加わっているのを見ていったのが、「ブルータス、お前もか」の名せりふです。驚愕、怒り、落胆を浮かべるシーザーの眼差しを、ブルータスは見返せたでしょうか。

アントニーの演説
アントニーの演説

 その後、謀議者たちはシーザーの盟友アントニーも殺そうとしますが、ブルータスはそれを押しとどめます。そして、アントニーがシーザーの遺体を広場に運び追悼の演説をしたいと希望したのを許可します。
この演説こそ 『ジュリアス・シーザー』 の最大の山場であり、そしてシェイクスピアという劇作家の底の知れないほどの表現力を発揮した場面といえるでしょう。

このアントニーの演説により、民衆はいっぺんにアントニー側に付き、シーザーを殺したキャシアス、ブルータスらをいっせいに非難しはじめました。

上の写真は、坪内逍遥訳の 『ジュリアス・シーザー』 の中にあったこの場面の挿絵です。この本は、なにしろ大正2年に刊行されたもので、その当時の口語体で翻訳されたとのことですが、現在ではまったく古色蒼然たる翻訳になりました。

しかしそれでも私にとっては、ハムレットもジュリアス・シーザーもマクベスも、この坪内逍遥訳でなければならないのです。あの時代にこれだけの訳業を行った坪内逍遥には、現在でも敬意を表するほかありません。
これは、『即興詩人』 で原作を超える芸術的訳業をした森鴎外についてもいえることです。

シーザーの亡霊
シーザーの亡霊

 ローマ市民に追われたキャシアスとブルータスは、ローマ郊外フィリッパイの野でアントニー軍と対峙しました。

左の写真もやはり坪内逍遥訳の 『ジュリアス・シーザー』 の中にあった挿絵で、決戦の前夜、シーザーの亡霊が戦場フィリパイのブルータスの陣営に現れてブルータスに語りかける場面です。

シーザーの亡霊は、ブルータスに「では又フィリッパイで逢はう」と告げて消え去りました。

翌朝の決戦で、キャシアス・ブルータス軍はアントニー軍に大敗を喫し、ブルータスは自害して果てました。戦いに勝利した後、アントニーは、ブルータスの行動は私心からではなかったことを皆に告げてその死を悼む演説を行い、この史劇の幕となります。



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