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間諜と小説 / モーム
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対外情報活動
 2015年1月、イスラム過激派組織 ISIS がシリアで2人の日本人人質を殺害する事件が起きました。犠牲者の方々には、衷心よりお悔やみを申し上げます。

日本人人質の開放のために関係者が奔走する際に、日本政府がその地域について持っている情報が少ないのが明らかになりました。そこで、日本でもアメリカのCIAやイギリスのMI6に相当する対外諜報機関の創設を求める声が与党内などで高まってきました。

MI6  イギリスには外務省に属するSIS(Secret Intelligence Service、秘密情報部)なる情報機関があり、海外での秘密情報の収集、エージェントを用いた情報工作をしているそうです。

秘密情報機関 SISは、1930年代後半にMI6というコードネームで呼ばれるようになりました。映画 「007」 シリーズの主人公ジェームス・ボンドはこのMI6に所属することになっています。

2010年9月、MI6は初めてその公式の歴史を記述した「正史」を出版しました。1909年に創設されてから冷戦が始まった1949年までの40年間の活動が記録されているということです。

810ページにものぼるMI6正史を編集したのは、英領北アイルランドの首府ベルファストにあるクイーンズ大学のキース・ジェフリー教授(歴史学)で、教授はこの正史記述にあたり、MI6の極秘文書の特別閲覧を許されたとのことです。

その正史中には、世界的作家サマセット・モーム、有名な映画 《第三の男》 の原作小説を書いたグレアム・グリーン、児童作家アーサー・ランサムらも秘密情報機関MI6に所属していたと書かれているそうです。

サマセット・モーム

サマセット・モーム  イギリスの小説家サマセット・モームは1874年(日本では明治7年)にパリ在住のイギリス人の両親から生まれました。10歳ぐらいで両親が死去したので、サマセットはイングランド南東部ケント州の叔父に引き取られました。

少年時代は英語が上手に話せなかったので、つらい日々を送ったそうです。結局18歳のときロンドンの聖トマス病院付属医学校に入学し、卒業後はインターンで病院勤務をしました。

やがてサマセットは作家の道に進むことを決め、パリに長期滞在するようになりました。

 『人間の絆』 パリを拠点としてスペイン、イタリア各地やシチリアなどに長期間の旅行をしましたが、それらの経験が後に作品の中に生かされることになりました。

モームは第一次世界大戦が始まる少し前から戯曲執筆を開始しました。風俗喜劇調の作品を多数発表し、相次いで上演されて人気を博しました。
サマセット・モームはまず劇作家として世に知られることになりました。

1912年から自らの半生を振り返る自伝的大作 『人間の絆』 の執筆にかかり、1914年に脱稿しました。ちょうど第一次世界大戦勃発の時期だったので、この作品はあまりヒットしませんでした。

第一次世界大戦

第一次世界大戦  1914年に第一次世界大戦が勃発し、フランス北方ベルギーで英仏連合軍とドイツ軍との間で激戦が始まって多数の死傷者が出ました。

モームはイギリス軍に志願してその戦場の赤十字野戦病院に軍医として勤務しました。
モームの生涯を調べても、モームが特にイギリスに愛国心を抱いていたようには思われません。また失礼ながら、何とか資格をとったとはいえ、モームの医師としての技量はどうだったのでしょうか。

それでもモームは戦場の兵士たちの惨状を聞き、その救護に参加するためにベルギーの戦場に向かったのでしょう。

諜報活動を開始

MI6  第一次世界大戦が始まる前から、当然ながら英仏連合側もドイツ側も各地で盛んに相手国の情報を探る諜報活動を行っていました。

モームが前線の病院で医療を行い始めてからまもなく、1915年にイギリス情報局秘密情報部(MI6)が彼に接触してきました。
モームはフランス育ちということで英仏両国語が堪能で、ドイツ語もかなり使うことができました。
その語学力と旅行で得たヨーロッパ各地の知識、そして作家という隠れ蓑を持っていたことから、祖国イギリス側の秘密情報員として活動してくれないかというのです。

  モームは結局その要望を受け入れ、表向きは劇作家のままでMI6の部員として諜報活動を開始しました。主としてスイス・ジュネーヴに滞在し、ヨーロッパ各地に行って配下のスパイたちからの情報を収集してはMI6に伝達するという仕事が多かったようです。

当時モームは40歳を過ぎたばかりで、劇作家としてはすでに成功しており、小説の方でも大作 『人間の絆』 を書き上げて前途が開けていました。そのモームが、どうして非常に過酷でときには生命の危険まである秘密情報員の仕事を始めたのでしょうか。

成功しつつあった作家が創作の時間を削るのですから、とても報酬目当てであったとは考えられません。また、前記のようにモームが強い愛国心を持っていたようにも思われません。また、後のアーネスト・ヘミングウェイのように義を感じて義勇軍に身を投ずるというタイプではなかったと思います。

ある評論家は、モームは作家として諜報活動の緊張感の中に見える人間模様を研究したかったのではないかと述べています。私には、このあたりがモームが秘密情報員をはじめた理由としてもっともらしいと感じられます。

南太平洋を旅行

タヒチ  一年ほど秘密情報員をしたころ、やはり激務がこたえたのか、モームは若いころわずらった結核が再発しました。一時情報員の仕事をやめてアメリカに向かい、まもなくハワイで静養しました。

そこからモームはさらに赤道を越え、南太平洋の中央部タヒチ島に行きました。モームはかねてよりフランスからタヒチに移住した画家ポール・ゴーギャンの生涯に関心を抱いており、タヒチで保養を兼ねてゴーギャンの跡をたどろうとしたのです。

また敵国ドイツが当時南太平洋に進出していたので、その情勢を調査するという目的もありました。

ロシア革命

ロシア革命  1914年に第一次世界大戦が始まると、帝政ロシアは連合側陣営に参加し、ドイツに宣戦布告しました。1917年、各戦地でロシアの敗北が続く中、2月に首都ペトログラードで食料・燃料を要求する民衆のデモが起こり、3月3日に300年以上の歴史を持つロマノフ王朝は断絶しました。

革命の実権をにぎった評議会ソヴィエトは敵国ドイツとの間で単独講和をする方向で動き出しました。そうなると、ドイツはロシア戦線の兵力を対英仏の西部戦線に振り向けることになります。モームはロシアに対独戦争を継続させる使命を帯びてロシアに向かいましたが、時はすでに遅すぎました。

『月と六ペンス』

ポール・ゴーギャン  再び結核の病状が悪化したモームは、44歳になった1918年はイングランドの南東部サリー州のサナトリウムで療養しながら画家ポール・ゴーギャンの生涯を描いた小説を執筆しました。

小説 『月と六ペンス』 は第一次世界大戦終了後の1919年に出版され、イギリス、アメリカでベストセラーになりました。1942年には 『月と六ペンス』 は映画化もされたということです。

モームは、同じ南太平洋旅行でポリネシアのアメリカ領サモアを訪れました。1921年に書かれた短編小説の名作 『雨』 は、そのアメリカ領サモアの首都パゴパゴを舞台にしています。

『アシェンデン』

アシェンデン  1928年、54歳になったモームはMI6で秘密情報活動をしていたときの経験をもとに短編小説集 『アシェンデン』 を発表しました。

第一次世界大戦が始まったころのヨーロッパでMI6の諜報員アシェンデンがさまざまな任務を遂行するストーリーで、全16章からなる「連作読切形式」の構成になっています。

スパイ活動だけではなく、活動の中に現れる女スパイ、革命家、外交官などの人間像がくっきりと浮き彫りになるのが、さすがモームの手腕というところです。本書の一部が1936年にアルフレッド・ヒッチコックにより映画化されました。

フランス敗北

フランス敗北  1938年にヒトラーがチェコスロバキアを併合して以来、ヨーロッパ諸国は新たなる大戦争を予感し始めました。このころモームはフランスを頻繁に訪れており、イギリス、フランスの秘密情報活動に関わっていたといわれます。

1939年、ドイツのポーランド侵攻をきっかけとしてヨーロッパは第二次世界大戦に突入しました。
この時期にはモームは一時行方不明になったということです。なにか、危険な仕事に携わっていたのかも知れません。

翌1940年6月、ドイツは英仏連合軍を撃破し、ドイツ軍はパリ・凱旋門を通ってパリに入城しました。

MI6の作家たち
 映画 《第三の男》 の原作を書いたことで有名な作家グレアム・グリーンは、モームより30年ほど後に生まれ、少年時代からスパイ小説を愛読していたそうです。
第二次大戦勃発時、当時35歳だったグリーンはMI6の正式メンバーとなり、西アフリカやイベリア半島のスパイ活動に従事しました。グリーンも、やはり秘密情報員の経験を描いた小説を数冊発表したということです。

007 イギリスの秘密情報活動をした作家たちのうちで現在もっとも有名なのは、小説 「007」 シリーズの著者イアン・フレミングでしょう。

フレミングは上記グレアム・グリーンの3年後の生まれで、ロイター通信のモスクワ支局長を勤めました。1939年から英海軍情報部(NID)に勤務しましたが、同年に第二次世界大戦が勃発した後はスパイとして活動しました.。

フレミングは1953年からNIDでの活動経験をもとに長編小説 「007」 シリーズを書き始めました。
小説は大ヒットになり、相次いで映画化されて世界的なスパイ映画のブームを巻き起こしました。

秘密情報大国イギリス
 ヨーロッパでは飛行機で数時間で行けるくらいの範囲に大国が集まっています。この時期には、「仮想敵国」とされる国同志が国境を接している状態だったのです。大国が盛んに秘密情報を収集しあったのは当然だったのでしょう。

「7つの大洋に覇をとなえた」イギリスは、それ以前から海外植民地統治のために秘密情報活動に注力してきました。古くは18世紀に小説 『ロビンソン・クルーソー』 を書いたダニエル・デフォーもそのような活動に関与していたといわれます。

イギリスではMI6のような政府機関が常に秘密情報活動に適する人材のスカウトをしてきたのでしょう。モームは、小説家として高い人気を維持しながら、30年近い年月にわたりMI6のもとで秘密情報活動を行ないました。

それではこの時期に軍事大国を目指していた日本では事情はどうだったのでしょうか。私が伝え聞く範囲では、このころの日本の海外情報収集は主として各国の大使館に派遣された陸軍・海軍の武官によって行われたようです。
日本人小説家などがイギリスのMI6のような日本政府機関の職員になって秘密情報活動をしたという話は寡聞にして知りません。やはり日本では昔からイギリスほどは情報収集活動に重きを置いていなかったということでしょうか。



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