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大正関東地震

 1923年(大正12年)9月1日12時少し前に、神奈川県西部を震源とする巨大地震「大正関東地震」が起こりました。それにより関東一円に甚大なる被害が発生し、多数の人命が失われましたが、それらを総称して関東大震災と呼びます。

大正関東地震が起こってから政府はその9月1日を「防災の日」と定め、毎年その日に巨大災害に対する備えを国民に呼びかけてきました。以来90年が経過しましたが、最近にいたり、また関東地方で巨大地震が近い将来に発生する恐れがあるという研究発表がたびたび聞かれるようになりました。

2年半前、東北地方沖で発生した巨大地震で首都東京も震度5強の激しい揺れを経験し、私どもも大変恐ろしい思いをしました。今後関東地方で発生が懸念される大きな地震に備えるために、90年前の大正関東地震について改めて調べました。

大正関東大地震の震源地
大正関東地震の震源

 関東地震は、相模トラフを震源とするプレート境界型地震(海溝型地震)で、200年以上の周期で繰り返し発生していると考えられるということです。

大正関東地震は左図のように神奈川県西部を中心として発生したとされ、関東地方全域で本震と余震2回併せて計5分以上にわたって激しい揺れが続きました。

大正関東地震の規模はマグニチュード7.9で、阪神大震災の7.3を大きく上回るが、東日本大地震の9.0よりははるかに小さいということです。
しかし、大正関東地震は東京・神奈川の大都市圏に近いところで発生したため、大きな災害を引き起こしました。

大正関東地震の震度

 大正関東地震では、震源域の中心に近かった神奈川県横浜市では震度 7 の強烈な揺れとなり、1万6000戸の建物が崩壊するなど大きな被害が発生しました。

震源域の中心から50kmほど離れていた旧東京市では、横浜市より小さい震度6の揺れが起こりました。当時は東京でもまだ耐震建築が少なかったこともあり、東京市ではこの地震で1万2000戸の建物が倒壊したということです。

当時の両市の人口は、横浜市は約42万人で東京市の約220万人の1/5ほどでした。その横浜市の倒壊戸数が東京市よりはるかに多かったことから、震度 7 の揺れは震度6のそれとは比べものにならないくらい激しかったのが推測されます。

大正関東地震の際の横浜市、東京市の各種データを下表にまとめました。さらに、比較のために、阪神淡路地震の際の神戸市、一昨年3月に起こった東日本大地震での仙台市、東京都のデータもその下の行に掲載しました。

地震名 都市 当時人口 最大震度 全壊棟数 死者数
 大正関東地震 横浜市 42万人 7 7.2万 2.1万
 大正関東地震 東京市 220万人 6 30万 6.8万
 阪神淡路地震 神戸市 154万人 7 7.4万 4,571
 東日本大地震 仙台市 106万人 6 強 2.7万 829
 東日本大地震 東京都
5 強


上表で、上3行の大正関東地震での横浜市、東京市および阪神淡路地震での神戸市における「全壊棟数」には、火災により焼失した建物の戸数も含めてあります。

上表で大正関東地震での横浜市、東京市での全壊棟数、死者数を見て、改めて大都市が巨大地震に襲われたときの災害のすさまじさに驚愕するのみです。

大地震後の火災

 大都市が大地震にあうと、構造が弱い木造家屋などが多数倒壊します。木造家屋なども、正常な建築状態ならば屋根、外壁にかなりの耐火性がありますが、大地震で倒壊してしまうと内部の木組みなどがむき出しになり非常に燃えやすくなるということです。

地震で屋内の暖房器具、電気機器、厨房のガスなどから火災が発生すると、人家が密集した大都市では短時間のうちにその地区全体に火災が広がります。
消防自動車が発火元に向かおうとしても、道路が倒壊した家屋や自動車でふさがれているので、現地に着くことのは困難な場合が多いということです。
また、その場所の消火栓が倒壊した家屋の下敷きになって使用不可能になる場合もあります。地震のゆれで水道管が破断して、消火栓から水が出ないことも多いのです。

大正関東地震当時は、大都市でも耐震性能の低い木造家屋が多かったので、地震の揺れで多数の建物が倒壊しました。旧東京市内では地震発生とともに1万2000戸の建物が倒壊したとされます。しかし、その後発生した大火災は地震の揺れによる建物の倒壊をはるかに上回る惨禍をもたらしました。

七輪 当時は東京市部でも炊事に薪炭を使っていましたが、大正関東地震は正午の少し前に発生したために市内の方々で昼食を作るための七輪などの火から火災が発生しました。

さらに悪いことに、その日は東京地方は台風による強風が吹いていたため、市内各所で火災はまたたく間に広がり、特に江東区など下町では地域全体が猛火に包まれました。

東京市の大火災は2日間にわたって猛威をふるい、地震の揺れで倒壊した建物とあわせて約30万戸の建物が失われたとされます。

この大災害によって、東京市だけで6万8000人の方々が命を奪われました。東京のような大都市が巨大地震に襲われた場合、その後に発生する大火災がいかに恐ろしい災害を引き起こすかがわかります。

大地震後の津波

 大正関東地震では上記のように大火災による災害があまりにもすさまじかったためか、私どもは大正関東地震による津波の被害はそれほど耳にすることはありませんでした。

しかし実は、神奈川県、千葉県、静岡県の沿岸部では大正関東地震直後に高さ10m以上の津波が発生し、それらにより多数の人命が失われていたのです。
熱海市は大正関東地震の震源中央に近かったので、地震発生後わずか5分ほどで6メートルを越える津波が押し寄せました。これでは、地震発生直後の混乱から立ち直って高台に避難するのは困難だったことでしょう。
鎌倉市由比ケ浜にも大きな津波が押し寄せ、300人以上の方々が津波に呑まれて行方不明になったということです。

遠からざる将来に関東地方に襲来すると予想される大地震も、やはり沿岸部に発生する可能性が高いということです。関東地方沿岸部にお住まいの方々は、津波も警戒する必要があるでしょう。関東地方に予想される大地震の際は、東京都のウォーターフロントにも3メートルほどの高波が押し寄せる恐れがあるそうです。

仙台市の災害
 ここで、最近の巨大地震による災害を知るために、先に示した災害の表から17年前に起こった阪神淡路地震での神戸市の災害と一昨年3月に起こった東日本大地震での仙台市の災害を抜き出して下表で比較しました。

下表で阪神淡路地震での神戸市の全壊棟数は直接地震により破壊された建物の棟数で、その後の火災により焼失した建物の棟数は含めてありません。
その下の行に記した仙台市のデータも、やはり直接地震により破壊された建物の棟数で、その後の火災により焼失した建物の棟数は含めてありません。

下表で東日本大地震での仙台市の最大震度は 6 強となっていますが、最近の研究報告では仙台市の一部地区では最大震度は 7 に達したとされています。
仮に、下表で神戸市と仙台市が地震の際の震度では大きな差がなかったと考えると、仙台市の全壊棟数、死者数は神戸市のデータを大幅に下回っているように思われます。
神戸市の当時の人口は仙台市の一昨年3月の人口の1.5倍でしたが、その人口比を考慮に入れても仙台市の全壊棟数、死者数は神戸市より少なかったと考えられます。

地震名 都市 当時人口 最大震度 全壊棟数 死者数
 阪神淡路地震 神戸市 154万人 7 6.7万 4,571
 東日本大地震 仙台市 102万人 6 強 2.7万 829

関西地域では昔から大地震は起こらないと思われていたので、住宅は地震よりは秋の台風に耐えることを重視して造られていました。住宅の屋根は、瓦の下に土を入れて重くし、強風に飛ばされないようにするのが普通でした。
阪神淡路地震ではそのような関西の伝統的住宅が多数倒壊したため、屋根や上層階の下敷きになって圧死者が多くでました。上表で神戸市の死者数4,571の7割が圧死者であったとのことです。また、建物の倒壊により地震後の火災が広がることになりました。

その大災害を見て建築基準法が改正され、その後に建築された住宅は阪神淡路地震当時より格段に堅固になりました。一昨年の東日本大地震で仙台市の全壊棟数が阪神淡路地震当時の神戸市より比較的に少なかったのは、それが効果をあげたのでしょう。

仙台市では、上記のように東日本大地震の際建物が多数倒壊しましたが、幸いにもその後大規模な地震火災が発生することはありませんでした。
また、神戸市では阪神淡路地震のときガス管の折損、電力線の切断・漏電などにより方々で火災が発生しましたが、東日本大地震の際の仙台市ではガス・電力が自動的に遮断されたため、それらが原因の火災はほとんど起こらなかったそうです。

大都市の地震火災
 巨大都市東京では、現在でも耐震性能の低い古い木造住宅が密集している地区が多数あります。もし、東京が震度6強以上の地震に襲われたら、やはりそれらの地区では相当数の建物が倒壊するのは避けられないでしょう。
それらの中から火災が発生し、不幸にしてそれらが周囲にかなり燃え広がったら、もはや火災を制御し、鎮火させるのはほとんど不可能になります。そのような大火災が自分の住居の近くまで迫ったのを知ったら、ともかく安全な場所まで避難するほかないのです。

大地震による都市火災はこのように恐ろしいものですが、ただそれが燃え広がるまでにはかなりの時間がかかります。通常、大規模な都市火災は人間が歩くのと同じくらいのスピードで燃え広がるということです。
従って、その地域の住民は、まず自分の家や近隣に小規模火災が発生した場合にはその消火を行い、その後ラジオ、インターネットなどで大規模都市火災が発生したのを知ったら、早々に安全な場所まで避難するのがよいでしょう。

渋滞する自動車 90年前の関東大震災の際は、家財道具を積んで都心から避難する大八車で狭い道路が埋め尽くされ、周囲から飛んできた火の粉がそれに着火して大惨事になりました。

現在では、大八車に代わって、道路上で渋滞する多数の自動車に火が着いて積載しているガソリンが爆発し、道路がいたるところで火の海になるのではないかといわれます。
現在の自動車数は17年前の阪神淡路地震当時よりさらに大幅に増加しています。大地震の後、大都市中心部から自動車で避難するのはまず無理と考えるべきでしょう。

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