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狂騒の20年代

 2014年から4年にわたる第一次世界大戦では、アメリカは戦争に必要な兵器など軍需品や食糧を大量にヨーロッパに供給したことで莫大な利益を手にしました。
それにより、アメリカは空前の好景気を謳歌することになり、巨大な消費者需要に対応するために製造業の高成長が年々継続しました。アメリカ合衆国の1920年代は、狂騒の20年代(Roaring Twenties)と呼ばれています。

アメリカの株式市場は1924年ごろから投機資金の流入によって上昇が続き、ダウ平均株価はその後5年間で5倍に高騰しました。

自動車の量産

T型フォード  アメリカで1920年代に好景気が異常なまでに盛り上がったのは、一つにはこの時期に画期的な新技術が多数開発され、相次いで工業製品として発売されたからでした。
それらの代表が、ヘンリー・フォードによる大衆向け自動車の量産でした。フォードは1908年にT型フォードという安価な大衆車を発売し、中流層の支持を得て次第に生産を拡大しました(左の写真)。

1913年にはフォードは工場にベルトコンベアによるライン生産方式を導入しました。これにより非熟練工でも自動車の量産に加わることができるようになり、工場の生産能力が大幅に強化されました。

1916年にはT型フォードの最も安価なモデルが360ドルという価格になり、販売台数は47万台に達しました。T型フォードは1927年まで生産され、最終的な総販売台数は150万台となりました。自動車は1906年にはアメリカ全土で10万台しかありませんでしたが、20年後の1926年には300万台以上に急増しました。

フォードは農家への販売にも注力したので、やがて地方でも荷馬車に代わって自動車が広く使われるようになりました。

電話の普及

電話の普及  グラハム・ベルが興したベル電話会社が発展したAT&T社が、19世紀末にはアメリカ全土に長距離電話網を設置して事業を拡大しました。

20世紀初めには自動交換方式(ダイヤル電話)が普及し始め、電話料金も次第に低くなって需要者の層が大幅に広がりました(左の写真)。

1910年代末には真空管を利用した電話中継器が電話網に広く採用され、海外通信を含む長距離通信が一般需要者にも利用されるようになりました。

1920年代の半ばには、アメリカの電話普及率は40%前後に達したということです。

レコードの普及

レコードプレイヤー  20世紀にはいると円盤式のレコードに天然材料のシェラックが使用されるようになり、レコードの回転数は78rpmに統一されました。

後述のようにアメリカでは1920年ごろから商業ラジオ放送が本格化し、クラシック、ジャズなど音楽を放送するようになったので、レコードの売れ行きは一時急減しました。

しかし、1925年にマイクロフォンと真空管を利用した電子機器によるレコードの「電気録音」がウェスタン・エレクトリック社によって実用化され、レコードの特性は格段に向上しました。

それまでのアコースティック録音によるレコードの周波数特性は250〜2,500Hzでしたが、電気録音によるレコードではそれは一気に50〜6000Hzに広がり、当時のAMラジオ放送のスペックを大幅に上回りました。

レコード会社はロシアのシャリアピン、イタリアのカルーソなど人気オペラ歌手の歌唱を大金をはらってレコードに収録し、大宣伝をうって売り出しました。1927年には全米で1億4,000万枚のレコードが販売されたということです。

ラジオ放送の開始

ラジオ受信機  第一次世界大戦中に真空管を利用した軍用無線通信装置が盛んに使われましたが、大戦が終了した後にその無線技術を使ったラジオ放送の実験が方々で行われました。

1920年に、ピッツバーグにあらかじめ公表されたプログラムを放送する初のラジオ放送局が創設されました。この放送局は同年に行われた大統領選挙の開票結果を速報し、大きな反響を呼びました。

以後アメリカ合衆国のラジオ放送局は急激に増加し、1924年末には1400局が開設されました。
それらラジオ放送の大多数は広告スポンサーが費用を負担する無料放送でした。

ラジオ放送の発展につれ当時高価だったラジオ受信機(上の写真)も急速に普及し、1925年から1930年までの5年間に1700万台も売れたということです。放送番組としては、現在と同じくニュース、音楽、スポーツ中継などが好評を博したといわれます。
RCA社は1926年から本格的に放送事業に乗り出し、コンサートホールから音楽を無線で生中継して長距離電話回線で全国ネット局へ配信しました。

当時のラジオは、最近のインターネットの普及速度を上回るような勢いでアメリカ全土に広まって行きました。1926年に大規模なラジオ放送が始まってから14年間で全米世帯の80%が聴取者になったということです。

映画産業の発展

トーキーの開発  20世紀初頭に実用化されたサイレント映画は1910年代には世界的な流行となりました。
第一次世界大戦の間、ヨーロッパでは映画の制作が激減し、アメリカ合衆国が世界一の映画大国になりました。ヨーロッパから映画監督、俳優、映画技術者がアメリカに渡ってきて、映画は西部ハリウッドを中心に大産業になりました。

1927年にアメリカで初めてのトーキー映画 《ジャズ・シンガー》 が公開されました。
この時期にはトーキー映画 にはいくつかの方式が並存していましたが、やがて方式が統一され、ハリウッドはトーキー全盛時代になりました

1920年代には年間500本以上もの映画がハリウッドの方々のスタジオで制作され、それらの多くが海外にも輸出されました。1920年代から1930年代にかけてがハリウッド映画産業の最盛期となったといわれます。

1929年5月には第1回アカデミー賞が開催され、作品賞など12部門で前年までに功績のあった人々が表彰されました。そのわずか5ヵ月後には、ニューヨーク証券取引所で株価が歴史的な大暴落を演じました。

冷蔵庫など家電製品

Windows コマンド  この1920年代には、生活水準の向上、電力供給事業の進展につれ、各種の電気機器が一般家庭に普及して行きました。

左の写真は、1927年にアメリカGE社が発売した史上初の家庭用冷蔵庫です。1926年に毒性のないフロンガスが発見され、それを冷媒として利用して一般家庭用の冷蔵庫が開発されるようになりました。
左の写真の冷蔵庫は「トップモーター式」というもので、冷蔵庫の上に冷媒のフロンガスを圧縮する大きなモーターがついていました。

この冷蔵庫はかなり高価でしたが、非常に好評で100万台以上を販売したということです。上記ラジオとともに、その後アメリカに起こった家庭電気製品ブームを先導する商品となりました。

Windows コマンド  欧米では20世紀の初めからさまざまな洗濯機が製造されてきました。1920年代になってアメリカでは電気の普及につれ、電気洗濯機が発売されました。
左の写真はその一つで、ドラム式の洗濯槽の下に置かれた小型モーターに取り付けられたベルトで洗濯槽の中を撹拌するようになっています。

1928年のアメリカでは、このような電気洗濯機が年間に91万台も販売されたということです。

また、W・H・フーバーは1926年に高性能の小型モータを使用した家庭用の掃除機を開発しました。これは比較的小型軽量で吸引力が強かったので、家庭婦人層に歓迎され、大ヒットになりました。

1920年代の家庭電気製品の普及は女性の家事負担軽減につながり、やがて女性たちの社会進出のきっかけになったとされます。

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