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富士山の噴火史

 日本を代表する高山富士山は、実は現在も噴火する可能性のある活火山だとされます。富士山のもっとも新しい噴火は1707年、江戸時代の宝永4年のことで、宝永火口は約2ヶ月間にわたって噴火し、その間2回の大爆発を起こしました。

明治23年4月にも富士山に激震が起こり、斜面の石塊が崩れ落ちたという記録があります。昭和14年10月には、富士山で地震が群発したということです。わずか70数年前にも富士山の地下になにか異変があったのです。

2011年3月11日の東日本大地震の後、富士山周辺でさまざまな気になる現象が起こっているというニュースも聞きます。改めて富士山の噴火史を調べ、今後なんらかの災害が起こる恐れがどの程度あるのかを勉強しましょう。

富士山
若い火山 富士山

 富士山は、左の地図に見られるように、東京の西南西100kmほどのところに位置しています。この場所では古来火山活動がありましたが、最近10万年で盛んに噴火が起こるようになり、それらが重なった結果現在の高山が形成されたということです。

現在私どもが仰ぎ見ている富士の山容は、約1万年前から噴火活動を開始した新富士火山というものだそうです。
1万年前というと、古代エジプト文明がおこる少し前に当たります。富士山は、少なくとも地質学的には最近できたばかりの「若い火山」なのです。

万葉集の記述

 日本の歴史上では、富士山の噴火は18回記録されているということです。最も古いものは 『万葉集』 中の詩歌で、高橋虫麻呂が730年ごろに作ったといわれる 『不尽山を詠う歌』 という長歌には

      不尽(ふじ)の高嶺(たかね)は

      天雲も い行きはばかり

      飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず

      燃ゆる火を 雪もち消(け)ち

      降る雪を 火もち消(け)ちつつ

と、富士山が盛んに噴火する様子が詠まれているそうです。

奈良時代のこの時期から平安時代の11世紀にかけては歴史上富士山の活動が最も激しかった時期の最後にあたり、山頂や山腹からたびたび噴火して多量の火山灰や溶岩を噴出したということです。

『竹取物語』 の記述

 『竹取物語』 は、日本文学史上最古といわれる物語です。成立した時期は明らかではありませんが、平安時代の9世紀末という説が有力ということです。

富士山 知らない人はいない光り輝く竹の中から現れて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫のストーリーですが、その最後の部分に帝が不死薬を駿河国にある日本で一番高い富士山という山の頂で焼くように命じるくだりがあります。それ以来、富士山の頂からは煙が空に向かって立ちのぼるようになったと書かれてあるそうです。

前記のように、この物語が形成されたとされる9世紀末は、歴史上富士山の活動が最も激しかった時期であろうと考えられます。そこで、いつしか物語のフィナーレに空に向かって噴煙をあげる富士山を登場させるようになったのでしょう。

更級日記の記述

 菅原道真の血筋をひく菅原孝標は東国・上総の国府に任官していましたが、任期が終了したので平安時代の1020年に京都に帰る旅に出ました。その途中、駿河の国(現在の静岡県)を通ったとき、孝標の一行は噴火している富士山を遠望しました。

父に同行していた次女菅原孝標女はのちに日記形式の回想録 『更級日記』 を書きましたが、その中で富士山について次のように記述しています。
 さま異なる山の姿の、紺青(こんじやう)を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなく積もりたれば、色濃き衣(きぬ)に、白きあこめ着たらむやうに見えて、山の頂の少し平らぎたるより、煙(けぶり)は立ちのぼる。夕暮れは火の燃え立つも見ゆ。
奈良時代から平安時代にかけては、富士山はおおよそ25年に1回くらいの割合で噴火を繰り返えしたと考えられているそうです。

西行の和歌
 歌人西行は鎌倉時代に入った1186年に2度目の陸奥旅行をしましたが、その途中駿河(現在の静岡県)で富士山の和歌を数首詠みました。
 けぶり立つ 富士に思ひのあらそひて よだけき恋をするがへぞ行く

 いつとなき 思ひは富士の烟にて おきふす床やうき島が原

 風になびく 富士の煙の空にきえて 行方も知らぬ我が思ひかな
当時は富士山の噴火活動は平安時代よりやや弱まっていたとされますが、なお頂上から盛んに噴煙をあげていたようです。

宝永の大噴火
 その後も富士山の火山活動は断続的に続きました。16世紀初めには大きな噴火が起こり、富士山北側吉田口付近に溶岩が流れ下ったということです。

18世紀初めに、富士山の火山活動はふたたび活発になりました。現在から300年あまり前、1702年に起こった赤穂浪士討ち入りから少し経った時期です。

富士山 1707(宝永4)年10月、マグニチュード8以上と推定される大地震(宝永地震)が起こり、その後強い余震が数日間続きました。
その49日後、富士山5合目付近の東南斜面で大爆発が起こり、巨大な火口が形成されました。
その下側に後に宝永山と呼ばれるようになった標高2,693mの山ができました(左の写真)。

噴煙の高さは上空20kmに達したと推定され、富士山の東斜面には高温の軽石や火山灰が大量に降って家屋を焼き田畑を埋め尽くしたそうです。

この噴火により、富士山から100kmも離れた江戸でも大量の火山灰が降りました。当時江戸に住んでいた儒学者新井白石は、その自伝 『折たく柴の記』 に地震の後に火山灰が降った様子を書き記しています。
よべ地震ひ、この日の午時雷の声す。家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。
火山灰が激しく降ったため江戸の町は日がさえぎられて昼間でも暗くなり、燭台の明かりをともさねばならなかったそうです。

巨大地震と噴火
 上記のように、宝永噴火は1707年10月の巨大地震宝永地震の49日後に起こりました。地震の前まで富士山の火山活動は比較的穏やかであったとされるので、巨大地震が噴火のきっかけとなったと指摘する研究者も多いということです。

平安時代の864(貞観6)年には富士山噴火史で最大とされる貞観大噴火が起こり、火口からの溶岩流により富士五湖や青木ヶ原が形成されました。その5年後に東北地方太平洋沖で貞観地震という巨大地震が発生し、津波などにより多数の犠牲者が出ました。

ピナツボ火山 1990年7月に、フィリピン・ルソン島西海岸でフィリピン地震(M7.8)が起こりました。
フィリピン地震発生から9ヶ月後の1991年4月、地震の震源地から100kmほど離れたピナツボ火山山麓で水蒸気爆発が起こりました。
その2ヶ月後、ピナツボ火山は20世紀最大級とされる爆発噴火を起こし、そのあとには巨大なカルデラが形成されました。この大噴火は前年のフィリピン地震によって誘発されたと考えられます。

インドネシア・スマトラ島付近では近年M7以上の巨大地震が頻発していますが、スマトラ島のとなりのジャワ島中部ではムラピ山(標高2968m)が2010年に3回にわたって噴火したそうです。20世紀半ば以降、M9を超える地震が発生した地域では、いずれも数年以内に近くの複数の火山で噴火が生じているということです。

マグマ溜まりの上昇

 通常、火山の地下十kmの深部には高温のマグマが滞留しています。地殻を覆うプレートが移動すると、そのマグマ溜まりが圧力を受け、深部から上昇してくる場合があります。

マグマ溜まり 昨年3月11日の東日本大震災と4日後に静岡県東部で起きたM6.4の地震によって、富士山のマグマ溜まりに噴火を引き起こしかねないほどの大きな圧力がかかったことが防災科学技術研究所などのチームの研究で明らかにされました。

専門家によると、マ グマは液体なので、マ グマ溜まりの位置は「低周波地震」が伝わる様子を観測することで推定できるそうです。
富士山地下の低周波地震の震源は以前は地下10数kmから20kmぐらいにありましたが、東日本大震災後は地下数kmのところまで上昇してきているということです。

巨大な活断層

 文科省はかねてより人工的に起こした揺れを地震計でとらえる方法で富士山地下の構造を調査していましたが、2012年5月に3年間にわたる調査の結果を発表しました。
それによると、山梨県富士吉田市から静岡県裾野市にかけての富士山の麓で一辺が北東-南西方向に長さが約30kmある断層を発見したということです。
調査チームは、この断層は富士山が位置する北西に向かって傾斜しており、富士山直下まで続いていると推定しました。この断層が動いた場合は、マグニチュード7クラスの地震が起こるとみられます。

活断層とは、一般的に200万年前以降に動いた断層を指します。今回の断層は100万年前以降に動いたとみられる跡があり、文科省は今後さらに詳しく調べる方針です。

富士山東側の麓には約2900〜2600年前に大規模な山崩れや岩石崩落が起こった痕跡があり、場所によっては堆積物が数10mの厚さになっているそうです。
文科省によると、その時期に富士山が噴火したという明確な証拠がないので、上記断層が動いてもろい山肌が崩れた可能性もあるということです。

もし富士山が噴火したら

 15年以上前のことですが、ある事業会社が富士山の北側に新工場を建設するというニュースを目にしました。当時も富士山が噴火する恐れがあるという説があったのですが、その会社の経営者は研究機関や火山学者に問い合わせた結果、富士山が噴火することはないという確信を得て工場建設に踏み切ったと述べていました。

2011年3月11日の巨大地震以来、そのような楽観論は一変し、300年以上も沈黙している富士山の動向に警戒する声が高くなってきました。改めて富士山の周辺を調査したところ、地震や噴火の気配とも受け取られる現象がほうぼうに見えてきました。

下の地図でもわかるとおり、富士山は東京の西南西100kmのところにあり、東京と中部・関西をつなぐ交通の関所になっています。東海道新幹線、東海道線、東名高速道路などが、富士山を迂回するように通っています。

300年前の宝永大噴火の際も、富士山近傍の交通路は遮断され、江戸には火山灰が大量に降って市民生活に大きな影響を与えました。もし現代に富士山が大噴火を起こしたら、そのダメージは私どもの想像を絶するものになるでしょう。

下図は内閣府の富士山ハザードマップ検討委員会が作成した富士山が大噴火した場合の火山灰飛散予想図です。富士山から噴出した火山灰は、宝永大噴火の際と同じく偏西風に乗って東に流れ、関東地方を襲います。東京地方には2〜10cmの降灰があると想定され、鉄道、道路、送配電網などは大打撃をこうむることになるでしょう。

火山灰

現在、日本列島南部太平洋側で連動型の巨大地震がそう遠からざるうちに発生する恐れがあると指摘されています。前記のように、そのような巨大地震が起こるとその後数年以内に近くにある火山が噴火する確率が高くなります。
関東に住む私どもは、連動型巨大地震、富士山の噴火の両方がいつかは起こるであろうと覚悟して、できるところから何らかの対策を考える必要がありそうです。

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