旅行

文学

美術

音楽

宗教

パソコン

海外旅行


トップページ 剣豪とオーディオ メニューへ

五味康祐の遺品

五味康祐  インターネットで調べものをしているうちに、昭和の作家五味康祐の記事を目にしました。

五味康祐は1980年に肺がんで58歳で死去しましたが、その後法定相続人が亡くなったので五味の遺品の数々が散逸しそうになりました。

そこで、五味が長く住んだ東京都練馬区が裁判所に上申した結果、遺品が2007年に練馬区に無償譲渡され、以後練馬区文化振興協会がそれらの分類整理と公開の事業に当たっているそうです。

その遺品には五味が愛用したオーディオ機器と膨大なLPレコードのコレクションも含まれていました。

作家 五味康祐

 五味康祐は、1921年に大阪に生まれました。父親は幼時に亡くなり、母方の祖父の家で育てられました。旧制中学のころからオーディオの世界を知り、海外から入手したスピーカーを自作のボックスに収めて音楽を聴いたということです。

太平洋戦争終了後、1947年に五味は評論家亀井勝一郎を頼って上京しました。東京都三鷹市に住み、太宰治、横綱男女ノ川とともに「三鷹の三奇人」と呼ばれたそうです。

1952年、東京で放浪生活をしているうちに、ある年末の夜、神田神保町のレコード店の前を通ったとき店からレコードの音楽が聞こえてきました。五味の聴きなれない曲でしたが、こんなに美しい音楽が世の中にはあるのかと思いました。レコード屋の硝子扉に背を押しつけ、五味は雪の舞い落ちる空を見上げて泣きながらその音楽に聴きいりました。

ヘンデル  《メサイア》 このころアメリカで発明されたLPレコードが日本でも発売され始めていました。LPレコードは、従来のSPレコードより格段に音質が優れており、しかも長時間の音楽を録音することができました。
五味が神保町のレコード店で聴いたのは、そのLPレコードの音楽だったのでしょう。

五味のほかの著作を読んでいると、このときの音楽はヘンデルが作曲したオラトリオ 《メサイア》 (左の写真)だったと書かれてありました。
現在は年末というとベートーヴェンの第九シンフォニーが盛んに演奏されますが、昔はヘンデルの 《メサイア》 が非常に人気があったのです。

レコード店の店主が外にいる五味に気がついて五味を店内に入れてくれました。五味はその店主の紹介で新潮社編集者の齋藤十一氏の知遇を得ることができました。その後五味は齋藤氏宅を毎日のように訪れ、さまざまなLPレコードの音楽に聴きいりました。

短編小説 『喪神』

 その後五味康祐は、編集者齋藤十一氏の斡旋により新潮社の社外校正の仕事を得てようやくなんとか生活できるようになり、それまで関西の実家で別居していた夫人を呼びよせて練馬区下石神井に所帯を持ちました。

五味はその店主の紹介で新潮社編集者の齋藤十一氏の知遇を得ることができました。その後五味は齋藤氏宅を毎日のように訪れ、さまざまなLPレコードの音楽に聴きいりました。

ドビュッシー 西風の見たもの  その間、五味は日本浪曼派の影響を受けた小説をいくつか書いて齋藤氏に見てもらいましたが、みな没になったということです。

1952年、五味は齋藤氏宅でドビュッシーの 《前奏曲集第一集》 のレコードを聴きました。この曲はドビュッシーの晩年を代表するピアノ作品で、標題の付いた12の短いピアノ曲からなります。

それらのうちの7番目に 《西風の見たもの》 という標題の曲があります。フランスのプロヴァンス地方では西風が嵐のように吹き募ることがしばしばあるそうですが、この曲はその西風の荒々しい力を思わせるダイナミックな音楽です。

この音楽を聴いてインスピレーションを受け、五味はかねてより関心のあった剣の達人のストーリーを書き始めました。3日間で30枚ほどの短編小説を書き上げ、 『喪神』 と題をつけて齋藤氏のもとに持ち込みました。それを読んだ齋藤氏の勧めで芥川賞に応募したところ、 『喪神』 は審査委員の高評価を得て昭和27年下期の芥川賞を受賞しました。

こうして純文学の作家としてスタートをした五味ですが、その後はこれという小説を書くことができませんでした。このころ週刊誌が盛んになったので、週刊誌の編集者たちは一般受けのする時代小説などの大衆小説を求めていました。やがて、五味は編集者たちの要請に応じ、剣豪小説などさまざまな大衆小説を書くようになりました。

オーディオ評論家

 五味は当時まだ30歳を少し出たばかりの若さでしたが、多方面にわたる趣味を持っており、さまざまなジャンルの作品を書きました。それらが受けて五味は売れっ子の大衆作家になり、雑誌、週刊誌などの連載に追われる日々が始まりました。

その後しばらくすると日本は高度成長期の入口になり、生活水準の向上とともにクラシック音楽、ジャズなどをステレオ装置で楽しむ向きが多くなりました。
旧制中学以来の音楽ファン、オーディオファンであった五味康祐は、この時期にクラシック音楽、オーディオ装置などをテーマとしたエッセイ、評論を盛んに書き、やがて「オーディオの神様」とまでいわれるようになりました。

五味康祐のオーディオ装置 前記のように、五味が愛用したオーディオ機器は現在練馬区が管理しています(左の写真)。

スピーカーは「タンノイ オートグラフ」というイギリス製の大型システムで、オーケストラの重低音を臨場感をもって再現できるということです。
また、アンプは有名なマッキントッシュ MC275 という当時としては大出力の真空管アンプを主に使っていました。これも力のある低音が出るアンプだそうです。

エッセイ集 『西方の音』

 1969年に出版されたエッセイ集 『西方の音』 は、このジャンルでの五味の代表作と聞きました。このウェブページを書くにあたってその作品を読もうと近所の世田谷中央図書館で探しましたが、残念ながら収蔵されていませんでした。

インターネットで検索したところ、運よくこちらのウェブサイトに全文が掲載されているのを見つけました。 『西方の音』 は、ドビュッシーの 《前奏曲集》 にならったのでしょうか、24の章から構成されていました。それらの章名が書かれた目次の一部を下に転記します。

  • ピアノ・ソナタ 作品109

  • ペレアスとメリザンド

  • タンノイについて

  • 少年モーツァルト

  • ハンガリー舞曲

  • ワグナー
  • ラヴェルとドビュッシー

  • 米楽壇とオーディオ

  • トランジスター・アンプ

  • ドイツ・オペラの音

  • 大阪のバイロイト祭り

  • 日本のベートーヴェン

  • 上記リストで最初に書かれている 「ピアノ・ソナタ 作品109」 とは、ベートーヴェン後期のピアノ・ソナタの中でもっともロマンティックな雰囲気を持つホ長調作品109を指します。
    五味はこのエッセイの中で、つらい別れをした女性への思いをこのベートーヴェンの名曲に託して語っています。

    夜の井ノ頭公園で、彼女は 「家に帰ったら、ホ長調のソナタをあなたのために弾きます」 と告げました。夜の公園を一緒に散歩するだけでも、彼女が私のために精一杯尽くしてくれていたのは分っていました。下北沢へ帰る彼女を吉祥寺駅に送って私は別れましたが、それきり、私は彼女とは会えませんでした。

    LPレコード

     エッセイ集 『西方の音』 の目次に記されている24の章名には、 「シュワンのカタログ」 、 「わがタンノイの歴史」 とか 「トランジスター・アンプ」というようにLPレコードやオーディオ機器について書かれているのが直ちにわかるものがかなりあります。

    また前記 「ピアノ・ソナタ 作品109」 というエッセイでは、もちろんベートーヴェンのその作品について詳しく書いていますが、その曲を欧州のLPレコードで鑑賞した様子がはっきりと記述されています。その他の章でもLPレコード、オーディオ機器について言及しています。

    当時の日本では、クラシック音楽、ジャズなど(洋楽と呼ばれた)の演奏家たちは失礼ながらまだあまりレベルが高くありませんでした。また、海外の演奏家たちの来日もそれほど多くなかった上にそれらのコンサートの入場料が当時の生活水準からは非常に高額だったので、一般の音楽ファンはそう簡単にはレベルの高い生演奏を聴くことはできませんでした。

    シュワンのカタログ それで当時の洋楽のファンたちは、LPレコードを通して海外の演奏家の名演を聴くほかなかったのです。

    熱心な音楽ファンは、海外のLPレコードカタログを調べて、お気に入りの演奏家のLPレコード「新譜」をレコード店経由で発注しました。前記のように五味がLPレコードを聴かせてもらった新潮社の編集者齋藤十一氏は、このようにして海外のLPレコードを多数収集していたのでしょう。

    当時の海外LPレコードカタログの代表が、五味のエッセイ集 『西方の音』 にも出てくる 「シュワンのカタログ」でした(左の写真)。シュワンは世界各国で出版されましたが、当時日本ではアメリカで出版されたものが広く読まれていたようです。

    オーディオへの熱中

    FM放送  上記エッセイ集 『西方の音』 は1969年に出版されましたが、この年にはNHKがFM放送を開始しました。これは周波数変調方式による音声放送で、従来からのAM放送とは比較にならないほど帯域が広く品質の高いメディアでした。

    NHKは、このFM放送でクラシック音楽やジャズなどのLPレコードを再生して放送し、ときどき各種コンサートを生中継して放送しました。

    これらのFM放送番組は音楽ファンの大人気を呼び、FM放送を受信するチューナーを搭載したステレオセットが全国の音楽ファンの家に次々に置かれるようになりました。

    この時期には、熱心な音楽ファンの多くはオーディオ機器(音響機器)にも精通していました。それらオーディオファンのうちかなりの人々がオーディオ用電子機器の知識があり、真空管やトランジスタを使ったパワーアンプ、プリアンプを自作して音楽を楽しんでいました。

    五味は、少年時代にはスピーカーボックスを作ったりしましたが、作家になってからは多忙もあってかオーディオ機器を自作することはなかったようです。そのかわりに、大衆小説を書きまくって得た収入で高価なスピーカーシステム、海外のアンプなどを購入し、自宅の庭にオーディオルームを造って音楽を鑑賞しました。

    そして、音楽やオーディオをテーマとしたエッセイを盛んに書いて、週刊誌、音楽雑誌、オーディオ雑誌などに発表しました。当時は日本は文化水準が急速に向上した時代で、熱心な音楽ファン、オーディオファンが多数いました。五味の音楽エッセイはそれらのファンの好評を博し、やがて五味は「オーディオの神様」とまでいわれるようになりました。

    オペラへの思い

     エッセイ集 『西方の音』 の24の章のうち、オペラに関係した内容を持つものが1/3以上もありました。現在の音楽ファンはクラシック音楽の中でオペラが占める位置を知っているので、五味が 『西方の音』 の中でオペラにさいた紙面の大きさを当然と思うかもしれません。

    しかし五味がこのエッセイ集を書いたのが今から45年前であるのを考えると、五味のオペラに関する該博な知識、オペラへの思い入れの強さに驚かされるのみです。

    ドン・ジョヴァンニ  わが国初の本格的オペラハウス新国立歌劇場がオープンしたのは1997年です。それより前は日本には常設のオペラ劇場はなく、多目的音楽ホールでなんとかオペラを上演する状態でした。

    歌手たちやオーケストラもオペラを演奏した経験はあまりなく、当時日本で上演されたオペラを観た五味は演奏家たちのレベルの低さを嘆きました。
    五味の時代には、音楽評論家など音楽の専門家も実はオペラに詳しい人は少なかったのです。

    この時代に五味はレコードカタログを頼りに海外のオペラを収録したLPレコードを多数入手し、繰り返し鑑賞したのでしょう。

    また五味は、オペラをLPレコードで聴くだけではなく、そのころようやく日本にくるようになった海外のオペラの公演にも熱心に足を運びました。エッセイ集 『西方の音』 にも、東京・日生劇場でのベルリン・ドイツ・オペラ公演、大阪でのバイロイト・フェスティバルなどを鑑賞したエッセイが掲載されています。

    この時期には五味はヨーロッパに旅行しましたが、そのときも各地でオペラハウスを訪ねて本場のオペラを鑑賞したということです。五味はオーディオファンではありましたが、その目的はあくまでも優れた音楽を聴くことにあったのでしょう。

    ベートーヴェンへの傾倒

     エッセイ集 『西方の音』 を読むと、バロックの地味な曲について書いてあったかと思えば、今度は現代に近い前衛音楽の話が出てきたりします。五味がいかに広範囲のジャンルのLPレコードを聴いたかがうかがわれます。 

    『西方の音』 の中にはそれらさまざまな作曲家の作品についての記述がありますが、それらを読んでいると、やがてどこかでベートーヴェンの話に入ってゆく場合が多いように感じられます。やはり五味の音楽人生のベースはベートーヴェンであったということでしょうか。

    ベートーヴェン エッセイ集 『西方の音』 には「日本のベートーヴェン」という章があります。その中で五味は昭和15年ごろの名曲喫茶で学生たちがベートーヴェンのレコードに聴き入った様子を記述しています。

    その時期に五味はロマン・ロランの 『ベートーヴェンの生涯』 を知り、むさぼるように読みふけりました。五味は「ベートーヴェンの作品の大部分を聴く前に私は書物で知りすぎてしまった」と書いています。

    やがて五味はベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲を知り、そこに自分の音楽人生の最終到達点を見出しました。

    ベートーヴェン 優れたピアニストであったベートーヴェンは、死ぬ少し前までピアノ音楽を作曲し続けました。

    生涯にわたり32曲の優れたピアノソナタを作曲しましたが、特に最晩年には今日後期ピアノ・ソナタと呼ばれる数曲の偉大な作品を残しました。
    前記のホ長調作品109のピアノ・ソナタもそれらのうちの一つです。

    五味は、晩年にはこれらベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタへの思い入れが非常に強かったようで、エッセイ集 『西方の音』 中のほうぼうで作品106、作品109、作品110、作品111のピアノソナタについて熱い思いを語っています。

    五味康祐の一人娘由玞子さんは、晩年の五味について次のように書いています。
    父がひとり静にタンノイ・オートグラフの前に坐り、音楽を聴いているときの表情はとても厳しい。まだ二十余年しか生きていない私に、父の音楽への姿勢を語りうるとは思っていないが、瞭らかに、父は、流れる音楽のなかに神を視ていた。
    昭和54年、五味は肺に痛みを感じた五味は東京逓信病院に入院しました。医師の診断は、末期の肺がんで余命はいくばくもないというものでした。それを聞いて、五味は夫人に「私は死んでベートーヴェンの許に行くのだ」と告げたということです。

    翌昭和55年(1980年)4月1日、五味は、波乱の多かった58年の生涯を閉じました。
    五味が病床で最後に聞いた曲は、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタである第32番ハ短調作品111だったということです。

    五味LPコンサート

     五味康祐の夫人千鶴子さんは、康祐の死後19年目に亡くなられました。また、夫妻の一人娘由玞子さんは母の死後6年目に死亡されたそうです。

    これで五味夫妻の遺品は法定相続人がなくなり、このウェブページの冒頭に記したように五味愛用のオーディオ機器と膨大なLPレコードのコレクションが2007年に裁判所の裁定により練馬区に無償譲渡されました。

    以後練馬区文化振興協会がそれらの分類整理と公開の事業に当たっていますが、同協会では公開事業の一環として毎年4回五味が収集した膨大なLPレコードのコレクションを利用したレコードコンサートを開催しているということです。

    そのコンサートでは、もちろん、五味が長年月愛用した大型スピーカーシステム タンノイ オートグラフとマッキントッシュ MC275 という大出力の真空管アンプが使われるそうです。
    その話を聞いて、私はぜひそのLPコンサートに行って五味が愛した音を聴きたいと思いました。五味が亡くなってからすでに34年にもなりますが、それらオーディオ機器の状態がよければ現在でもなお立派な音が出るはずです。

    しかし、インターネットで調べていると、そのLPコンサートで音を聴いたという人が書いたウェブページが見つかりました。その人によると、結果は今一つであったということです。
    どうやら、それらオーディオ機器の整備があまりよくなかった、オーディオ機器類への電源供給に問題があった、LPコンサートを行った会場が普通の会議室で音響があまりよくなかったなどの問題点があったようです。

    練馬区文化振興協会には、ぜひそれらの問題点を改良し、スーパーオーディオファン五味康祐が愛したすばらしい音楽が再現できるよう整備をお願いしたいと思います。
    その後、私も練馬区に行って五味康祐の音楽世界に触れることができたら幸いです。

    トップページ メニューに戻る