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オーストリア・ザルツブルグ
 ベルベデーレ宮殿
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ベルベデーレ宮殿
ベルベデーレ宮殿

 ベルベデーレ宮殿は、対オスマントルコ戦争の英雄オイゲン公が18世紀初めに造らせた宮殿です。ナチス・ドイツ海軍にプリンツ・オイゲンという重巡洋艦がありましたが、その名はこの英雄にちなんでいます。

上宮と下宮がありますが、現在は上宮は19世紀以降の近代絵画の美術館、下宮は中世バロックの美術館となっています。

私どもは、国立歌劇場の正面から市電D線に乗って行きました。上宮の入口では、珍しい上半身が女性のスフィンクスが私どもを迎えてくれました。

宮殿の内部と天井画

ミヒャエル門 中庭の銅像

 18世紀初めというと、後の女帝マリア・テレジアが生まれた時代です。文化史的にはバロックからロココに移行する時期ですが、宮殿の造りは内外ともに比較的簡素で落ち着いています。 上の写真の見事な天井画は、英雄オイゲン公の業績を題材としているそうです。華麗なシャンデリアと天井画が、非常によくマッチしています。オイゲン公は、芸術への造詣が深かったとのことです。

クリムトの作品

 この美術館には、モネやゴッホなどの印象派絵画もありますが、それらの数は少なく、大多数がオーストリアの古典主義、ビーダーマイヤー美術、分離派、表現派などの作品です。

それらの中でもっとも有名なのが、ウィーン分離派の大家グスタフ・クリムトの作品です。分離派とは、ヨーロッパのドイツ語圏で起こった古典主義から離れようという新しい総合的な芸術運動を指します。

クリムトの作品の中でもとりわけ有名な 《接吻》 (下左)の前には、人だかりができていました。クリムトの父は金箔職人だったそうですが、この絵も金箔を利用して装飾性を強調しています。

下右は、 《フリッツァ・リードラーの肖像》 という作品ですが、人物の背景がだいだい色なのが非常に印象的でした。どちらの作品も人物の顔、体、髪はリアルに描いていますが、残りの部分は人物のリアルさを強調するために装飾的に描いています。

接吻 フリッツァ・リードラーの肖像


シーレの作品

 エゴン・シーレは、1890年にウィーン近郊で生まれました。上記クリムトより28年後の生まれです。1906年にウィーン美術アカデミーに入学しましたが、アカデミックな美術教育にはなじめず、やがて退学します。そのころ、分離派のクリムトに会い、影響を受けました。

一方フランスでは、1881年生まれの画家ピカソが1907年に革新的な作品 《アヴィニョンの娘たち》 を発表し、キュービズム運動ののろしを上げていました。その運動を知ったエゴン・シーレには、ウィーン美術アカデミーをはじめオーストリアの美術界が、まったく旧態依然たるものに感じられたことでしょう。

その後エゴン・シーレは、当時ヨーロッパに大流行していたスペイン風邪により、28歳の若さでこの世を去ります。その短い生涯の間、時間との競争をするように、シーレの激しい創作活動が進行しました。

下左の作品は、妻エディット・シーレを描いたもので、シーレの作品の中でもっとも有名なものの一つです。下右は自画像で、これも大変有名な作品です。シーレには、妻を描いた作品や自画像が多数あります。

エディット・シーレの像 自画像


壁

 上は、1914年に描かれた 《壁》 という作品です。どこか、スイス出身の画家パウル・クレーの作品を思わせる画面です。パウル・クレーは1879年生まれですから、シーレはどこかでパウル・クレーの作品を見て共鳴したのかも知れません。

これらのシーレの作品を見ると、旧態依然たるオーストリアの美術界に大変革を起こす力を感じます。ゴッホやピカソの作品が示す革新的な力と同じ種類のものを、若きシーレが持っていたのです。この天才が僅か28歳で亡くなったのが、実に残念でなりません。

宮殿の庭園

 美術館の展示を見終えて、舘内にあるしゃれたカフェに行き、一休みです。名画の数々を見ている間に天気は回復し、宮殿の庭園が初秋の陽光に輝いていました。本日はこれから、少し離れたところにあるウィーン中央墓地に行くので、サンドウィッチとスープ、ビールで軽い食事をとりました。

美術館の外に出ると、宮殿の壮大な庭園が目の前に広がります。噴水をいくつも配置した整然たるバロック式庭園で、ゆるやかな下り斜面に構成されています。そのはるか先にベルベデーレ宮殿の下宮が見えますが、こちらはバロック美術館として使用されています。上宮と下宮の間は、この庭園の横にある道を歩いて6、7分ほどです。

宮殿の庭園


宮殿の全景

 庭園の中央から振り返ると、ベルベデーレ宮殿上宮の全景が見えました。こちらの宮殿は、下宮が建設されてから7年後に完成したもので、主として賓客の接待や社交・祝典のために利用されたとのことです。一方下宮の方は、その後は主としてオイゲン公の居住用となりました。

ベルベデーレという宮殿の名前は美しい眺望という意味だそうです。この上宮からの眺望は、まさにその言葉にふさわしいものでした。天気はようやく回復し、初秋の日差しが上宮、下宮、そしてそれらの間の広大な庭園に明るくあたっていました。

宮殿の全景

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