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オーストリア・ザルツブルグ
 ウィーン・苦難の歴史
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ペスト記念柱
ペスト記念柱

 昔からヨーロッパ大陸では、大規模戦乱と並んで、疫病の大流行が多数の人命を奪ってきました。14世紀のペスト大流行では、ヨーロッパ全人口の25%にあたる2500万人が死亡したそうです。

ウィーンでは、1679年にもペストが流行し、10万人以上の人々が亡くなりました。
そのペスト禍が終息したのを感謝して、1686年に旧市街の中心、グラーべン通りにペスト記念柱が立てられました。

記念柱の一番上には、ペストを突き落とす天使の像が置かれているそうです。

カールス教会
カールス教会

 リング通り沿い、楽友協会の向かい側のカールス広場に、青い大ドームが2本の円柱に挟まれてそそり立つ大きな教会があります。これが、バロック建築の傑作として有名なカールス教会です。

ウィーンは1713年にもペストの大流行に見舞われて8000人もの死者を出しましたが、女帝マリア・テレジアの父カール6世が、その終息を祈願してこの教会を建立しました。

ドームの両側の大円柱には、ウィーンの守護聖人カール・ポロメウスがペストを撃退する物語のレリーフが刻まれてあります。

対オスマントルコ戦

 ヨーロッパ大陸の南東の端に位置するウィーンは、東方の強大なイスラム国家オスマン・トルコに昔からたびたび脅かされてきました。1683年には第2次トルコ戦争が始まり、ウィーンはオスマン・トルコ軍によって完全に包囲されてしまいました。

この危機を救ったのが、フランスから援軍としてやってきた若きプリンツ・オイゲンでした。1694年にオーストリア軍総司令官に抜擢されたオイゲン公は、1697年、「ゼンタの戦い」でオスマン・トルコ軍を撃破し、ヨーロッパをイスラム勢力の侵略から救ったのです。

下の写真のベルベデーレ宮殿は、その救国の英雄オイゲン公が建設したものです。宮殿の中の天井画は、オイゲン公の業績をテーマとして描かれているそうです。

ベルベデーレ宮殿

ウィーンのカフェ
ウィーンのカフェ

 さて、上記第2次トルコ戦争でウィーンを包囲したオスマン・トルコ軍が撤退した後に、トルコ兵たちが日ごろ飲んでいたコーヒー豆の袋が多数残されていました。

それらのコーヒー豆を見つけてためしに飲んでみたウィーン市民は、やがてコーヒーが大好きとなり、現在ではウィーンの街中いたるところにカフェがあります。

1685年生まれの大作曲家バッハに「コーヒーカンタータ」という作品がありますが、これは、当時大流行したコーヒーのことばかり考えている若い娘をテーマとしています。

ベートーベン
ナポレオン戦争

 フランス革命の後、ヨーロッパの情勢は次第に不安定になって行きました。やがてフランスでは、戦争の天才ナポレオンが台頭して権力を握り、周辺の国々を圧迫するようになりました。

ナポレオンは1769年生まれで、大作曲家ベートーベンはその翌年1770年に生まれました。二人の大天才は、ともに1789年に起こったフランス革命の強い影響の下に成長したのです。

ベートーベンはやがて自由主義者・共和主義者となり、華々しい活躍を見せるナポレオンを熱烈に支持するようになりました。

ベートーベンは、1804年に壮大な第3交響曲を完成し、それをナポレオンに献呈しました。そのため、この交響曲はエロイカ(英雄)という名でよばれます。
ところが、その後まもなく、独裁権を握ったナポレオンはフランス皇帝に即位してしまいました。それを知ったベートーベンは激怒し、ナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てたといわれます。

1805年10月、ナポレオンは、ウルムの戦いでオーストリア軍を破り、ウィーンを占領しました。ベートーベンが共和制を全ヨーロッパに広めてくれると期待したナポレオンは、ベートーベンの期待を裏切って皇帝に即位したばかりか、ベートーベンが暮らすウィーンをも占領したのです。ウィーンの街にあふれるフランス兵を、ベートーベンはどのような思いで見たことでしょうか。

この時期に、ベートーベンのパトロンで弟子でもあったルドルフ大公は、ナポレオン軍を避けてウィーンを逃れました。ベートーヴェンが後に作曲したピアノソナタ第26番《告別》は、このルドルフ大公との別れをテーマとしたもので、第一楽章には告別、第二楽章には不在という副題がつけられています。

しかし、ナポレオン軍のウィーン占領はそう長く続かず、ルドルフ大公は翌年ウィーンに戻ってきたので、ベートーベンはパトロンとの再会を喜びました。上記ピアノソナタ第26番《告別》の第三楽章は、再会という副題がつけられており、再会の喜びを反映した明るくダイナミックな音楽となっています。

第一次世界大戦

 19世紀後半のウィーンは、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世下にありました。その皇后が、現在でもオーストリア国民に人気の高いエリザベート(シシー)です。

1880年代以降は、国内外ともにさまざまな問題が起こり、次第に不安定な情勢となりました。その中で、若い世代の間に新時代の芸術を模索する世紀末芸術運動が起こりました。

1898年には、エリザベート皇后(下左の肖像画)がスイスでイタリアの無政府主義者ルイジ・ルケーニによって暗殺されるという悲劇が起こりました。これにより、オーストリア・ハンガリー帝国の威光がすでに失われつつあるのが世界に知れ渡りました。

そして1914年6月に、帝位継承者に指名されていたフランツ・フェルディナント大公がサラエヴォでセルビアの民族主義者によって暗殺されるという事件が起こり、これをきっかけとしてヨーロッパは第一次世界大戦に突入しました。

開戦の翌年、当時25歳だったウィーンの画家エゴン・シーレは、徴兵されてブダペストに送られました。下右は、そのころのシーレの自画像です。

エリザベート皇后 シーレの自画像

 4年に及ぶ第一次世界大戦の結果、ドイツ・オーストリア側は大敗し、ウィーンには革命が起こってハプスブルク家は追放されました。オーストリア・ハンガリー帝国は解体されて、民族自決の原則によりチェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ポーランドなどが次々と独立しました。

画家エゴン・シーレは、大戦が終了してまもなく、当時蔓延したスペイン風邪により、その妻とともに亡くなりました。まだ28歳の若さでした。

エゴン・シーレと同世代の画学生アドルフ・ヒットラーも第一次世界大戦に参戦し、当時戦場で使われた毒ガスに倒れてその後遺症に苦しみました。やがて病の癒えたヒットラーは、ウィーンで急速に台頭しつつあった左翼勢力に反発して、政治活動に乗り出しました。

第二次世界大戦

 その後、ドイツ・ミュンヘンに移ったヒトラーは次第に勢力を拡大し、ついに独裁権力を得てドイツでナチス政権を樹立しました。1938年には、ヒトラーは、ドイツ系民族統合を主張して、母国オーストリアをドイツに併合しました。

ヒットラー体制の下、オーストリアはその後第二次世界大戦に駆り立てられましたが、その大戦の末期にはウィーンは連合軍の空爆により大きな被害をこうむりました。楽都ウィーンの象徴ウィーン国立歌劇場も、舞台の近くに爆弾が落ちて瓦礫の山と化しました。

大観覧車
映画 『第三の男』

 1945年、第二次世界大戦はドイツの敗北により終結し、ドイツの一都市となっていたウィーンは米英仏ソ四ヶ国の共同占領下に置かれました。

私どもの世代ならだれでも知っている名画 『第三の男』 は、このころのウィーンを舞台としています。映画の見せ場の一つが、ウィーン・プラーター公園にある大観覧車(左の写真)のゴンドラの中で、かつて親友同士であった二人が対決する場面です。

映画の中でイギリス軍とソ連軍の担当者がやりあう場面があったのを記憶しています。

ソ連軍解放記念碑
ソ連軍解放記念碑

 ウィーン市リング通り沿い、シュヴァルツェンベルク公園に左の写真の高い石柱がそびえていました。石柱の先端には、金色の楯を持った兵士の像が置かれていました。

第二次世界大戦が終了した1945年に、この地域を支配したソ連軍が、ファシズムからオーストリアを解放したのを記念するために建設したものだそうです。

しかし、オーストリア国民にとってはこれは「敗戦記念碑」に見えるわけで、後にこの記念碑の前に高く吹き上げる噴水を設けて記念碑があまり目立たないようにしました。

永世中立を宣言

 第二次世界大戦が終了してから10年後の1955年に、オーストリアはようやく米英仏ソ四ヶ国の共同占領から脱し、独立した主権国家となりました。国連から、独立の条件として将来的にドイツと合併しないことが付けられたそうですが、オーストリアはもともとヒトラーによって強引にドイツに併合されたのであって、もはや国民の間にはそのような意志はまったくなかったことでしょう。

オーストリアでは、第一次世界大戦終了の際に左翼勢力が革命を起こし、その後も勢力を伸ばした歴史があります。しかし、結局は、共産主義はオーストリア国民に受け入れられるに至らず、第二次世界大戦後はオーストリアは永世中立国を宣言し、世界各国と穏健な関係を保っております。

上記のように数々の苦難を経験してきたウィーンは、現在では、中世以来の歴史のある芸術・文化でヨーロッパの中心の一つとなっており、また永世中立国オーストリアの首都としてフランスの首都パリと並ぶ国際都市になってきました。

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