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イギリス・ロンドン
 ウェリントン門
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ザ・マル

 バッキンガム宮殿前の広場から聖ジェームズ公園の北側に向かって歩くと、「ザ・マル」と呼ばれる大通りに出ます。バッキンガム宮殿から北東の方向に伸びて、ウェストミンスターのトラファルガー広場に達する大通りです。
通りの幅は非常に広く、見通す限りまっすぐに伸びています。その両側には、下の写真のように亭々たる大木が並んでおり、さすがイギリス国王の宮殿から発した大通りという感があります。

ザ・マル

ザ・マルの南側には、聖ジェームズ公園が広がっています。さいわい、ロンドンには珍しく陽光に満ちた日のお昼ごろだったので、公園の芝生には小さなテーブルと椅子を持ち出してランチを楽しむ市民の姿が見られました(下右の写真)。

私どもがザ・マルと公園の間の歩道を歩いていると、北のほうから宮殿に向かって馬を進める騎馬隊がありました。どういう役割をする騎馬隊かわかりませんが、黒い服をきて白い兜をつけており、兜の頂部には赤い飾りが翻っていました(下左の写真)。

ザ・マルの騎馬 聖ジェームズ公園

ウェリントン門

 ザ・マルをしばらく宮殿を離れる方向に歩いて行くと、少し開けた場所があり、四角い石柱やあずまや風の石の天蓋がついた建物などが立っていました。
石柱には、ネパール、アフリカ、カリブなど世界各地の地名が刻まれています。どうやら、かつての大英帝国の領土の地名か、大英帝国が戦争を行った場所かが掲示されているようです(下左の写真)。

ザ・マル ウェリントン門

さらに先に行くと、巨大な石造りの門が見えてきました。門には古代ギリシャ建築風の円柱がつけられており、門の上にはチャリオット(戦車)に乗った戦の女神の像がそびえていました。近寄ると、門の上には "Wellington Arch" と刻まれてありました(上右の写真)。

歴史上名高いウェリントン公が、1815年にイギリス・オランダ連合軍を率いてワーテルローでナポレオン軍を撃破したのを記念する門だそうです。

門と勝利の女神

 ウェリントン門を通り抜けて、門の反対側に出ました。そこは芝生の広場になっていて、その中にイギリスが20世紀以降に行った戦争の記念碑などが立てられていました。

その広場の北の端に行って、そこからウェリントン門の写真を撮りました(写真下左)。写真で門の向こう側がバッキンガム宮殿の方向になります。

写真下右は、ウェリントン門の上にそびえている勝利の女神像です。女神の右手に高く掲げられているのは、月桂冠のようです。ナポレオン軍に勝利したウェリントン公に捧げられるものでしょう。

ウェリントン門 勝利の女神

大通りザ・マルは、この広場から北東に伸びて、トラファルガー広場に達しています。トラファルガー広場は、いうまでもなくナポレオン支配下のスペインとフランスの連合艦隊を撃破したネルソン提督をたたえて建設されたものです。

従って、ザ・マルはナポレオンの脅威から国を救った海陸の二人の軍人を記念しているように感じられます。戦争の天才ナポレオンがヨーロッパ全体にいかに大きなパニックを巻き起こしたか、そしてそれから逃れられたイギリス国民の安堵がいかほどであったかが察せられます。

なお、大作曲家ベートーベンには「ウェリントンの勝利」という一楽章の交響曲があります。ベートーベンは、最初共和制を推進すると思われたナポレオンを賛美していましたが、やがてそのナポレオンはフランスの皇帝に就位してしまいました。それを知って怒ったベートーベンは、今度は一転して反ナポレオン派になりました。
やがて落ち目になったナポレオン軍が1813年にスペインでウェリントン軍に大敗したのを知ったベートーベンは、大いに喜んでこの交響曲を作曲しました。この曲中には大砲やライフル銃の音が響くようになっているので有名です。ウィーンでベートーベン自身の指揮で行ったこの作品の演奏会では、聴衆の熱狂的な歓呼の声が止まなかったそうです。

ウェリントン公像

 広場の中には、ウェリントン公の騎馬像がありました(写真下左)。
イギリスは、島国の有難さで、11世紀のノルマン・コンクェスト以降外国からの侵略は経験しませんでした。そのかわり、ヨーロッパ大陸で大きな戦争が起ると、それが自国に波及するのを防ぐためにヨーロッパに出兵することが多くなりました。

ウェリントン公は、ナポレオンと同じ1769年に生まれ、イギリス陸軍の軍人の道を歩みました。従って、当然のことながら、ヨーロッパでのナポレオンの版図拡大につれ、ヨーロッパ大陸でナポレオン軍と何度も戦うことになりました。ウェリントン公とナポレオンは、まさに宿敵同士だったのです。

ウェリントン門 砲兵連隊慰霊碑

ウェリントン公像の近くに、大砲の記念碑があり、その下に鉄兜をつけた兵士の銅像が立っていました。近寄って説明を読むと、第一次大戦で戦死した砲兵連隊兵士の慰霊碑のようです(上右の写真)。
近代技術がフルに投入された最初の大規模戦争となった第一次大戦では、ヨーロッパ各国ともに多数の戦死者が出ました。イギリスの戦死者は、ドイツやロシアよりは少ないとはいうものの、91万人にも及ぶとされます。

機関銃兵慰霊碑

 機関銃を足元から立てている兵士の銅像がありました(下左の写真)。銅像の説明を読むと、やはり機関銃兵部隊の戦死者慰霊碑のようです。いつの時代のものか、慰霊碑にはなにも掲示されていませんでした。
真近に見える敵を銃撃しあう過酷な白兵戦で命を落とした兵士の慰霊碑の前で、私どもはしばらく黙祷を捧げました。

機関銃兵慰霊碑 対戦車杭

機関銃兵慰霊碑の横に小高く土を盛ったところがあり、そこに太い鉄の杭がたくさん打ち込まれていました(上右の写真)。これは対戦車杭ではないかと思います。
イギリスで開発されたといわれる戦車は、第一次大戦中にはじめて戦場に投入され、以降近代陸戦の主要兵器になりました。その戦車の進撃を阻止するのに有効とされたのが、この対戦車杭です。
第二次大戦で連合軍側が上陸したノルマンディ海岸には、このような対戦車杭が無数に打ち込まれていたそうです。

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