旅景広々トップ 旅行の準備 旅のご注意 旅の便利帳 旅行グッズ リンク


イギリス・ロンドン
 ナショナル・ギャラリー
メニューへ

戻る 次へ

ナショナル・ギャラリー
ナショナル・ギャラリー

 トラファルガー広場から北の方角を望むと、ネオゴシック様式の柱廊のある大きな建物が見えます。これが、イギリス最大の美術館 ナショナル・ギャラリーです。

1824年に個人が遺贈したコレクションをもとに創設されましたが、1838年に現在の場所に移り、以降急速に内容を充実させて行きました。入場料が無料になっていることもあり、トラファルガー広場にきた観光客がどっとこの美術館を訪れるようです。

他美術館との役割分担

 世界の大美術館では、すべての時代の作品を収蔵し展示しているところと、近代、現代の美術作品は別の専門の美術館にまかせているところとがあります。
前者の代表例はロシア・サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館ですが、最近ではどの大美術館も、収蔵点数の増加につれ、近代、現代の美術作品を分離する方向にあります。ルーブル美術館でも、プラド美術館でも、印象派以降の作品は展示されていません。

ここナショナル・ギャラリーは、もともとエルミタージュ美術館と同じようにすべての時代の作品を収蔵し展示してきましたが、その後やはり次第に作品分野を絞る方向になっています。

まず、1897年にテート・ギャラリーを新設し、大多数のイギリス美術作品をそちらに移しました。これらはヘンリー・テートという資産家が寄贈した作品が基になっていますが、現在では国立の美術館になっています。

2000年にはテート・ギャラリーの新館が開設され、そこに20世紀以降の国内外の美術作品が展示されるようになりました。これが「テート・モダン」です。
旧テート・ギャラリーの建物は、「テート・ブリテン」という名前になり、テューダー朝以降現代に至るまでのイギリス作品を展示しています。特に、イギリス最大の画家といわれるターナーの作品の収蔵・展示で有名です。

ナショナル・ギャラリーの展示

 上記の変遷により、現在ではナショナル・ギャラリーは13世紀からポスト印象派までのヨーロッパ絵画の名作約2000点を展示しています。美術館の建物は展示作品の時代別に4つのウイングに分けられており、特にイタリア・ルネサンス、オランダ絵画などの収蔵が充実しているので有名です。

私どもは、ロンドンの前にオランダ・アムステルダムに行きましたが、そこでは王立博物館が大改修中のためルーベンスやファン・ダイクの名作を見ることができませんでした。そこで、ナショナル・ギャラリーに入場すると、まずオランダ絵画の展示室に直行しました。

ルーベンスの肖像画
ルーベンスの肖像画

 ヨーロッパの大美術館では、どこでもルーベンス、ファン・ダイク、レンブラントなど17世紀オランダ絵画が多数展示されています。ルネッサンス以降、ゴヤやドラクロアによって近代絵画が確立されるまでの期間については、これらオランダ絵画が展示の中心になっているといえましょう。

左の作品が、ルーベンスの展示室にありました。テレビの美術番組や画集などでよく見るルーベンスの代表作の一つです。

モデルの女性はスザンナ・ルンデンという人で、ルーベンスの二番目の妻エレーヌの姉だそうです。エレーヌは晩年の大傑作 《毛皮をまとったエレーヌ・フールマン》 で有名な女性です。
スザンナ、エレーヌ姉妹の父はアントワープでタペストリや絹を扱う商人だったそうですが、この作品では裕福な商家の娘さんの姿が実に優しいタッチで描かれています。

ルーベンスは自らの工房を持ち、そこで多数の弟子たちを使って王侯貴族などから注文された大作を制作しました。それら弟子たちの筆頭が、ファン・ダイクでした。
その一方で、自分の家族やその係累などの姿は、全部自分の手で愛情をこめて描きました。そのような家族の絵画は、上記スザンナの肖像画のように優しい雰囲気に満ちた作品が多いのです。

最初の妻を失ったルーベンスは、53歳のときにエレーヌと出会い、再婚しました。エレーヌは、そのときなんとまだ16歳だったそうです。上記スザンナの肖像画はその少し前に制作されたようです。ルーベンスは、エレーヌと再婚した後わずか10年で亡くなりました。

ボッティチェリの作品
ボッティチェリの作品

 ナショナル・ギャラリーは、イタリア・ルネッサンスの名作を多数展示していることでも有名です。

それらの中でもっともよく知られているのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの 《岩窟の聖母》 です。パリのルーブル美術館にある同名の作品とほぼ同じ構図の作品で、依頼主との間にトラブルがあったために2枚制作したといわれます。

左は、ボッティチェリの 《ヴィーナスとマース》 という作品のヴィーナスの部分です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの現存する作品が少ないのはよく知られていますが、ボッティチェリの作品もそれほど多くありません。

ウィーンの美術史美術館には、下のほうがなくなってしまったボッティチェリの作品が展示されてありました。ボッティチェリが制作してから500年近く経っているのですから、致し方ないのかもしれません。

ヴェラスケスのヴィーナス像

 スペイン絵画の展示室にきて、下のヴェラスケスのヴィーナス像の前で動けなくなりました。ヴェラスケスは1599年生まれということで、ルーベンスより22年後に生まれました。ルーベンスの一番弟子ファン・ダイクと同じ年の生まれです。
若くしてスペイン王室の宮廷画家になり、スペイン王家の王女などの肖像画を多数制作したので有名です。

この作品は 《鏡の前のヴィーナス》 というもので、ヴェラスケスが50歳ごろ、傑作を次々に発表した時期こ制作されました。宮廷画家であったこともあり、ヴェラスケスには裸婦像は非常に少ないということです。

この作品を見てまず感ずるのは、きわめて斬新でインパクトの強い構図です。ヴィーナスの白い裸身が画面を横切って水平に伸びており、その前に鏡と上半身を立てた天使が描かれています。鏡には、ヴィーナスのくつろいだ顔が写っています。

色彩についても、白い裸身、ベッドカバーの青灰色、カーテンの豪華な赤紫の組み合わせが、見るものを魅了してやみません。これほど効果的な色彩を使いながら、やはり宮廷画家の気品と節度は保たれているのを感じます。

ヴェラスケスのヴィーナス像

同じくスペインの宮廷画家であったゴヤが 《裸のマハ》 を描いた年より150年前のことで、このヴィーナス像は大きな波紋を巻き起こしたといわれます。
この名作がナショナルギャラリーで展示されるようになった1914年には、婦人参政権を主張する女性によりこの作品がナイフで切り裂かれるという事件が起こったそうです。

戦艦テメレール

 ターナーは、1775年の生まれですから、フランスのロマン主義の大家ドラクロワより23年前に生まれたことになります。
イギリスにも優れた画家はたくさんいますが、ゴヤ、ドラクロワ、モネのように革新的な業績を挙げた画家はそれほど多くないと思います。ターナーは、その数少ないイギリス画家の一人でした。

ターナーは、最初は主として写実的な風景画を描いていましたが、44歳のときにイタリアに旅行してからは大気と光の効果をキャンバス上に表現する画風に変わって行きました。その点では、ターナーは印象派の創始者モネより65年も前から同じテーマに挑んでいたといえましょう。ターナーが印象派の先駆者といわれる由縁です。

下の作品は、トラファルガーの海戦でネルソン提督の旗艦ヴィクトリアを助けて奮戦した戦艦テメレールが、その後廃艦となって解体のためにドックに曳航される様子を描いたものだそうです。
大きな戦艦が、煙突から炎と煙をあげる小さなタグボートに牽かれてドックと思われる静かな海面をゆっくりと動いて行きます。水平線すれすれになった夕日に照らされて、空の雲も海面もばら色に輝いています。

ターナーの戦艦テメレール

廃艦・解体は、軍艦の宿命です。トラファルガーの海戦で大功をあげた戦艦テメレールも、その宿命をまぬかれることはできませんでした。画中で、戦艦のマストに帆が揚がっていないのが印象的です。
作品の時代背景を知った上で鑑賞すると、この名画がまた一段とすばらしく見え、しばらくその前に立ち尽くしていました。

糸杉のある小麦畑

 前記のように、ナショナル・ギャラリーで展示されている作品は、ポスト印象派までです。従って、現代に比較的近い作品では、ゴッホあたりが最後になります。

そのゴッホの 《糸杉のある小麦畑》 という作品がありました。1889年の制作ということで、アルルでの耳切り落とし事件ののち入院したサン・ミレの療養院で描いたものと思われます。療養院では、医師の許可を得て近隣の野外でも制作をしたそうです。

この時期は、ゴッホの精神状態はかなり不安定で、時には激しい発作を起こしたといわれます。それを反映してか、この地で描かれた作品の中には渦を巻くようなタッチとかねじれたように変形した樹木などがよく見られます。

糸杉のある小麦畑

この時期は、ゴッホは年間200点近い作品を制作したそうです。療養の合間を縫って、物につかれたように制作に没頭するゴッホの姿が目に浮かぶようです。
《刈り取りをする人のいる麦畑》や《アイリス》など、ゴッホの一生を通じての傑作とされる作品もこの地で描かれました。

戻る 次へ



メニュー



旅景広々トップ 旅行の準備 旅のご注意 旅の便利帳 旅行グッズ リンク

このウェブの姉妹サイト
実りのとき
このウェブの姉妹ブログ
実りのときブログ