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オランダ・アムステルダム
 王立博物館
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アムステルダムの市電
アムステルダムの市電

 アムステルダムでは4系統の地下鉄が運行されていますが、大部分は市内と郊外を接続しています。私ども観光客にとっては、市内を網の目を張り巡らすように運行している市電やバスが頼りの綱です。

私どもは空港でアムステルダムカードを購入しましたが、それには公共交通機関が追加料金なしで乗れる交通券が付いてきました。今朝は、この交通券を使って、市内南西部の美術館地区に行こうと思います。

王立博物館
王立博物館

 アムステルダムの市電は、上の写真のように小さい車両が数両連結されています。私どもの家の近くを走る東急世田谷線の車両よりやや小さいように思われます。
アムステルダム市民にとっては、自転車と並んでなくてはならない生活の足です。

ホテルの前にあったトラム(市電)の停留所で2番という線に乗って、10分ほどで王立博物館の前に着きました。1885年に建てられたヨーロッパ初の美術館とのことで、ツインタワーを有する荘重な建築です。

しかし、現在この美術館は6年越しの大改修をしていて、フィリップス棟という区画だけが公開されているということです。そのため、この正面からは入場できないとのことでした。

そこで、また市電に乗って一つ前の停留所まで引き返し、その近くにある仮入口から入場することにしました。

コスター・ダイヤモンド
コスター・ダイヤモンド

 美術館の正面入口の近くで見回すと、左のコスター・ダイヤモンドと書かれたクラシックな建物が目に付きました。

アムステルダムには、16世紀以降ダイヤモンドの研磨と関連する宝石類加工産業が盛んになりましたが、このコスターという店はその代表の一つで、英国王室の王冠のダイヤモンドを研磨したこともあるそうです。

店内ではダイヤモンドの生産と歴史の展示があり、研磨の実演も行われています。

美術館仮入口
美術館仮入口

 王立博物館は、現在はこのアーチ門が仮入口になっているようです。
18世紀にハーグのハウステンボス宮殿に収集された美術品が、19世紀になってからアムステルダム宮殿に移されました。19世紀末に王立博物館が建設され、上記美術品をはじめ、主として17世紀オランダ絵画の名作が多数収蔵されています。

私どもは、開館時刻の少し前にこの仮入口の前に着きましたが、まだほとんど並んでいる人はありませんでした。

レンブラントの作品

 まもなく開館したので、入口でアムステルダムカードを提示し、フィリップス棟の中に入りました。お目当てのレンブラント、フェルメールなどの名作は二階に集中的に展示されているとのことなので、例によって、まっすぐにその展示室に向かいました。

まず、下の二つの作品が目が引き付けられました。私は、これまで世界中の大美術館でレンブラントの名作を鑑賞してきましたし、テレビの美術番組もよく見ているのですが、これら二作はほとんど見た覚えがありませんでした。

いずれもあまりにすばらしい出来栄えで、私はしばらくこれらの前から離れることができませんでした。これらを見ただけでも、アムステルダムにきた意味があったと思いました。

ヨハネス・ウテン・ボハールトの肖像 サスキアの肖像

 上は、アムステルダムの著名な会計士の肖像画で、1633年、画家が26歳のときの作品です。出世作 《テュルプ博士の解剖学講義》 を描いた翌年のことで、若きレンブラントの旭日の勢いを感じさせる傑作です。

モデルの会計士はこのとき70歳を越えていたようですが、レンブラントはこのような高齢者の複雑な表情を描く際、他の画家の追随を許さない技量を発揮したといわれます。
 レンブラントの最初の妻サスキアの肖像画で、左の作品と同じく画家が26歳のときの作品です。

サスキアはアムステルダムの裕福な美術商の姪で、この作品は結婚する前の年、婚約したころに描かれたものと思われます。
当時サスキアは21歳で、作品の画面からは婚約した若い女性のにおうような瑞々しさがあふれています。

大傑作 《夜警》

 上図の作品以降、レンブラントの画名は大いに上がり、殺到する注文をこなすために日夜制作にいそしむ年月がつづきました。しかし1642年になると、最愛の妻サスキアが結核で29歳の若さで亡くなってしまいました。

サスキアは、レンブラントのマネージャーの役割を勤めたとされますが、そのサスキアの早すぎる死により、以降レンブラントは波乱の生涯を送ることになりました。

その1642年に制作されたのが、西欧絵画史に輝く傑作 《夜警》 です(下の写真)。レンブラント38歳の全盛期の作品です。

夜警

《夜警》が今後この王立博物館を出て他の美術館で展示されることはないでしょう。長年絵画に親しんできた私としては、是が非でも一度はアムステルダムでこの名画を鑑賞したかったのです。

開館より少し前に王立博物館に着き、この展示室に直行したおかげで、私どもは学芸員がいるだけの部屋でこの大作の前に立ちました。展示室は中くらいの大きさでしたが、その部屋の狭いほうの壁いっぱいに 《夜警》 が展示されていました。

これまでテレビの美術番組で何度となく見てきた絵画ですが、やはり本物の前に立つと、細部までよくわかり感激もひとしおです。しばらく画面の近くで細部を見てから、少し離れた場所に行って見直すと、この作品の構図全体がわかってまた一段とすばらしく見えるのに驚きました。

《ユダヤの花嫁》

 レンブラントが全身全霊をこめて完成した大作 《夜警》 ですが、注文主のアムステルダム市警団からは不評を買い、訴訟を起こされることになりました。市警団の各メンバーを平等に描かなかったのがその原因とされます。
これ以降、レンブラントの画家としての人気はかげりはじめました。それに加えて絵画売買の投機に失敗したこともあり、レンブラントは1656年に破産を宣告されました。

このあたりから1669年に没するまでがレンブラントの晩年ですが、この時期は外部からの制作依頼が少なくなったこともあり、自らの内面に向き合う自画像が多くなります。この王立博物館にも何点か優れた自画像が展示されています。

しかし、この時期にも人類の至宝というべき大作が多数制作されています。ロシア・サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館にある名画 《放蕩息子の帰宅》 はなんと死の年1669年に制作されました。そして、この王立博物館でも特に人気の高い名作である 《ユダヤの花嫁》 も、1660年、レンブラントが59歳のときに描かれたものです(下の写真)。

ユダヤの花嫁

この名作の前に立った人はだれでも、実社会の中では数々の不幸により破滅状態に近かったレンブラントが、絵画に関する限りなおすさまじい集中力で制作にあたっていたのを知るに違いありません。この絵画の完成のほぼ200年後に王立博物館を訪れたゴッホは、この名作の前に立ち尽くして動くことができなかったといわれます。

フェルメールの作品

 《夜警》 とは別の展示室に、上記レンブラントの《ヨハネス・ウテン・ボハールトの肖像》と《サスキアの肖像》などとともに、フェルメールの作品が2点展示されていました。ヨハネス・フェルメールは1632年、レンブラントの26年後にデルフトに生まれました。

王立博物館はフェルメールの作品を現在4点所蔵しているようです。ご存知のように、フェルメールの絵画は現在30数点が残っているのみで、フェルメールを所蔵しているのが世界中の大美術館のステータスシンボルになっています。この王立博物館はそれらのうちの4点も持っているのは、さすが地の利というべきでしょうか。

王立博物館の4点のうちの2点は、現在世界のどこかの美術館に貸し出し中のようです。

ヨハネス・ウテン・ボハールトの肖像 牛乳を注ぐ女

 フェルメールの作品の中でもファンの多い《手紙を読む女》です。フェルメールの他の作品に比べて淡い色彩を巧みに使って静かに手紙を読んでいる情景を描いています。
時間の流れがぴたりと静止したような独特のフェルメールの世界です。

喧騒に包まれた現代で、この静謐ないやしの画調が世界中の絵画ファンの心を捉えているのでしょう。
 フェルメールの作品の中でもっとも有名なものと思われる《牛乳を注ぐ女》です。この作品でもフェルメールは、左側の窓から入ってくる淡い外光によって人物や室内の静物の存在感を強調しています。

人物の存在感、全体の構図の力強さ、色彩の対比の巧みさなど、どれをとってもすばらしく、私はフェルメールの全作品の中でもこれがもっとも好きです。

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