翌朝は、早く起きてホテルの朝食を済ませ、地下鉄でクレムリンに向かいました。 ロシアの地下鉄は、サンクトペテルブルグもモスクワも地下深いところにあります。米ソ冷戦時代に建設されたので、核戦争になった場合の避難所にもなるようにしたとのことです。
地上からそこまで長いエスカレータで一直線に降りていきますが、なにしろ日本の倍以上の深さがあるので、相当な時間がかかります。途中で上を見上げると、てっぺんのほうの人がどっと落下してきそうで怖くなります。
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ロシアの地下鉄は、ホームの上には駅名が表示されていません。レールの向こう側の壁には、何ヶ所か大きな字で駅名が書かれています。
このため、車両に乗って駅についたとき、その駅がどこなのか確認するのが困難です。おまけに、駅名は例のキリル文字で書かれているので、読むことすら難しいのです。
やっとクレムリンの最寄駅について、街を歩き始めました。ロシアでは、左の写真のように、ビルの間から突然たまねぎ形のドームをもった教会が見えることがよくあります。 |
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駅から10分ほど歩いて、観光客でにぎわう赤の広場につきました。
広場の北西の角、ニコリスカヤ塔と国立歴史博物館の間を抜ける道路を通って、クレムリンの北に向かいます。
前方に見えてきたのは、クレムリンの北端にあるアルセナリナヤ塔です。塔の右下に第2次世界大戦で戦死した2000万人といわれるロシア人を弔うための無名戦士の墓があり、「永遠の火」が灯されています。
無名戦士の墓には、小銃を持ったロシア軍の衛兵がついています。 |
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国立歴史博物館から先は、ご覧のようにかなり急な下り坂になっています。 昔、この先にネグリンナヤ川という大きな川があり、クレムリンはネグリンナヤ川とモスクワ川に挟まれていました。現在ではネグリンナヤ川は暗渠となり、その上の低地が公園になっています。
写真は国立歴史博物館を北側から撮影したもので、なにか大規模な工事をしているようでした。
クレムリンの北端にあるアルセナリナヤ塔の下を回り、城壁に沿って南に歩きます。 |
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このあたりは、アレクサンドロフスキー公園という美しい公園になっています。城壁の上は、クレムリン内の武器庫になっているということです。
その城壁には小さな塔がついていますが、その下にご覧のように廃墟のような石積みがありました。クレムリンの城壁は、現在の赤レンガ積みになる前は白い石で積まれていたそうですが、その一部がここに残っているのでしょうか。この塔の下にも門がありますが、私ども観光客はそこからクレムリンに入ることはできません。 |
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アレクサンドロフスキー公園の西側には大噴水があり、ご覧のように海馬と思われる銅像が置かれています。
公園には方々に大きな花壇があり、市民や観光客がそれらのまわりでゆっくり休んでいました。 サンクトペテルブルグもモスクワも、全体として花がほとんど見られませんでした。パリやマドリードなど西欧の大都市とはこの点が大きく違います。国民性として花があまり好きではないのでしょうか。 それとも、極北の地なので、花壇がつくりにくいのでしょうか。 |
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赤の広場にある聖ワシーリー聖堂とクレムリンのスパスカヤ塔の間には、モスクワ川に向かって下がっていく道があります。
そのあたりには、写真のように白いテントがたくさん張ってあって、飲食できる店やみやげ物を売る店などが並んでいました。常設の店舗なのか、この日だけの臨時の店舗なのかは、わかりません。
写真中央の塔は、クレムリンの南東の端に立っている塔です。塔の右側に伸びている赤レンガの高い塀の先には、時計塔のあるスパスカヤ塔があります。 |
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写真は、そのあたりから赤の広場の南端にある聖ワシーリー聖堂を撮影したものです。この日は天気がよかった上に、南側から撮影したので、聖ワシーリー聖堂がますます華やかに見えます。
私どもは時間の関係でいきませんでしたが、モスクワ川の観光クルージングでは、高い丘の上に青空をバックとした聖ワシーリー聖堂がさぞ美しく見えることでしょう。
このあたりに立つと、クレムリンが2本の大きな川の合流点を利用した堅固な要塞であったというのが実感されます。 |