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ロシア・モスクワ
 プーシキン美術館
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プーシキン美術館は、クレムリンの南方700メートル、救世主キリスト大聖堂の近くにあります。

プーシキン美術館
プーシキン美術館

 プーシキン美術館は、もともと1912年にモスクワ大学の美術部門として建てられたそうですが、現在ではロシア国外の美術作品を展示する美術館としてはサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館に次ぐ規模を誇っています。

正面は、ご覧のようにギリシャ建築風の列柱を持つ荘重なつくりで、その上に大きなガラス張りの屋根がかかっていました。自然光のもとで美術作品を鑑賞できる造りになっているようです。

ロシア文学の父といわれる詩人プーシキンの没後100年を記念して、1937年にその名を冠した国立美術館になったということです。

エルミタージュ美術館と同じように、エジプト、ローマ美術、中世美術から現代美術にいたるまで、幅広い時代の美術作品を収蔵しています。現在では、絵画だけで3000点以上もあるそうです。
日本でもプーシキン美術館収蔵品の展覧会がこれまで何度か行われているので、各地でご覧になった方も多いと思います。

レンブラントの作品

 プーシキン美術館の西欧絵画は、レンブラント以降が特に充実していると思われます。サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館も、ルーベンス、レンブラントなどネーデルランド画家の作品の数々に圧倒される思いでしたが、ロシアでは伝統的にそれらの作品を好んでいるのでしょうか。

下の写真は、レンブラントの 《アハシュエロスとハマンとエステル》 という作品です。旧約聖書の中にある説話を題材とした晩年の傑作です。
アハシュエロス王の廷臣ハマンは、ユダヤ国家を崩壊させようと企んでいました。アハシュエロス王の后エステルは、それに気づき、酒宴の席でアハシュエロス王に告げます。この作品は、それら三者の緊迫した関係をドラマチックに描きあげています。

エステル后にはハイライトが当たっており、ローブをつけた優しい姿が浮き出しています。アハシュエロス王は、エステル后が耳元でささやくのを聞いて、廷臣ハマンに疑いのまなざしを向けています。
簡潔で控えめな表現ながら、恐ろしいほどの緊迫感が画面にあふれています。

アハシュエロスとハマンとエステル

コローの作品

 ピョートル大帝以来、ロシアは伝統的にフランスを文化のモデル国としてきました。ピョートル大帝の後継者を自認したエカテリナ二世は大量の西欧絵画を購入しましたが、それ以降も印象派などフランス近代絵画が多数ロシアの愛好家によって購入され、やがてロシアの各美術館の収蔵品となりました。

下の写真は、バルビゾン派の画家コローの 《刈草を積んだ馬車》 という作品で、1860年に制作されました。
印象派の始祖モネが 《印象・日の出》 を発表する12年前のことで、印象派の前段階をつくったとされるマネやドガの画名があがりつつあった時期にあたります。アングルなど以来のアカデミックな画風が次第に変わりつつあるのが感じられます。

コローは、パリの南東フォンテヌブローの森を拠点として活躍し、日本ではもっぱら自然主義的な風景画で知られています。しかし、パリのルーブル美術館を訪れた方は、コローが優れた人物画を多数制作しているのをご覧になったでしょう。私には、人物画のほうにこそコローの真骨頂があると思われます。

刈草を積んだ馬車

モネの作品

 下の写真は、印象派の画家モネの 《カプシネ大通り》 という作品で、パリのにぎやかな大通りを描いたものです。この作品が制作されたのは、モネが 《印象・日の出》 を発表して印象派が始まった翌年です。

光の効果を重視する印象派にとって、風景画はそれまでより重要な分野となりました。また、山野、海岸などの美しい景色のほかに、この作品のようにパリの市街なども盛んに描かれるようになりました。
大通りの右半分には右側の建物の影がかかっており、大通りの左半分には日が当たっている様子が描かれているのは、いかにも印象派らしいところでしょう。

カプシネ大通り


ドガ  《踊り子》
ドガ  《踊り子》

 左は、ドガの『青いドレスを着た踊り子』です。ドガは印象派の創始者モネより6歳年上で、印象派展にはたびたび出品するなど理解を示しましたが、基本的には古典的な均整感のある画風を終生維持しました。

ドガが若いころパリのオペラ座ができたので、そこに通って踊り子を描いたそうです。
この作品は、1890年、ドガ56歳のときに制作されたパステル画です。そのころから視力の低下に悩み、早く描けるパステル画を手がけるようになりました。油彩のタッチの力強さが失われた代りに、パステルの鮮やかな色彩の躍動を感じます。

マチス  《金魚》
マチス  《金魚》

 左は、マチスの 《金魚》 連作の一つで、1912年に制作されました。マチス43歳のときの作ですが、このように具象的な画風がこのころまで強く残っていたのがわかります。12歳年下のピカソは、このころすでにキュービズムの画風になっていました。

私は、これまでマチスの具象的絵画は、例の 《ダンス》 の連作を除けばあまり見たことがありませんでした。このプーシキン美術館は、その時期のマチスの作品をたくさん所蔵しているようで、すばらしい作品をいくつも見ることができました。

この作品の2年後、マチスは 《金魚とパレット》 という作品を描きましたが、それはキュービズムの傾向が強い抽象的絵画になっています。この時期のフランス絵画界の流れの激しさを感じさせられます。

今回の旅行では、エルミタージュ美術館とこのプーシキン美術館で西欧絵画の名作を見ることができました。

プーシキン美術館は、さすがにロシアの国威をかけたすばらしい収蔵でしたが、展示室の照明や入場者に対するサービスなど美術館としての「ソフトウェア」がまだまだ西欧の大美術館には及ばないように思われました。

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